わがまま言ってごめん。(先程まで居たはずの浜辺もだいぶ小さく見える沖の上で、船に揺られながら、ぽつりと声をこぼす。なんなら海風に混じりさえしたかもしれない、実に愛想のない謝罪を、目の前の黒髪の男は確と聞き届けたようで、心底驚いたように目を見開いている。たしか唐突に故郷に行きたいと彼にこぼした時も、こんな顔をしていた気がする。おそらく、この広い世界でたった二人の生存者というには釣れないほど口を開かない片割れが、めずらしく内なる思いを吐露したからだろう。自覚だってしているからこそ、言いたいことあんなら言えよとかねめつける気分には到底なれなかった。それは今だけじゃなくて、何かと知識豊富な彼はサバイバルにおいても有能で、この世界に二人だけとはいえ今やすっかり彼を筆頭に生活している日々なので、基本的に自分は彼に頭が上がらない。故郷に繋がる海面が低くなっていたことを知ったのも、こうしてなんとか船を出せたことも、彼無しではありえなかった。「大丈夫」「わがままなんかじゃないよ」「探し物が見つかるといいね」あわてて自分を慰めてくれる、その人間性においても、生き残っていたのが彼でよかったと思わざるを得なかった。)ありがとう。優しいね。(──あたしの友達みたい。とまでは言わなかったけれど、自分に寄り添おうとしてくれる姿が不覚にも重なってしまった。当然そんな思いなど相手は知る由も無かったが、しかし自分の言葉を受けて、ふと気付いたように彼は目を瞠る。それからどこか後ろ暗そうに俯くので、何よと促した。自分のそんな短い一言にさえ窺う視線を寄越し、そしてしばらく躊躇うようにしたのち、言った。「俺ずっと引きこもりで」実に後ろめたそうな息を吐き出して、そのまま彼は止まる。相手が自ら醸し出している気まずげな空気を裂くように、うん。と淡々と相槌をうてば、どうやらその仕草に受容を見いだしたらしい。彼も彼で、ずっと一人きりで抱え込んでいた自意識があったようで、懺悔でもするように自分に打ち明けてくれた。親にお金を出してもらって大学院にまで進んだのに、結局就職しても世の中に馴染めなかったこと。それでも母親は毎日食事を作ってくれたこと。ごめんなさいもありがとうも誰にも言えなかったこと。彼の話は他人の自分からすればありふれたもののようにも思えたが、もう世界に二人しか残っていないのだとすると、途端に神話のようにも思えた。絶えず相槌を打つ他なかったけれど、「優しくできるのは、もう君しかいないから」最終的に彼はそれを言いたかったらしい。)……、……(あまりにも共感できてしまって、一瞬息を飲んでしまった。そうだった。まったくもってその通りだった。なのに世話するふりしかできなくて、結局いつも優しくされてばかりだった。ぬめぬめの触腕で差し出されたビスコ、励ますみたいに作ってくれたふたりの雪だるま、ぎゅっと抱き締めてくれた夜、それから、──それから、あの日、結局最後まで分かってやることができなかった、代わりばんこの泣き虫と嘘つき。今なら途方もないほどに分かってしまって、涙があふれでた。今なら分かる。もう一人の生き残りと自分を引き合わせたのは誰だったのか。今ならはっきりと言えてしまう。メリーは自分が作り出した存在で、世界でたった一人の友達。だとするなら、あの日々は自分で自分に優しくしていた茶番劇ともいえたし、メリーは自分にとって都合のよい存在でしか無いのかもしれなかった。しれなかったけれど。──もっとふたりで色んなものを見たかった。あの子もそう思ってくれていたかもしれない。そう思わずにはいられなかった。最後に八つ当たりしてごめんなさい。ずっと傍にいてくれてありがとう。自分だって言えないままだ。あの日の嘘つきがたまらなく恋しくなって、泣き崩れそうになった。)
(築うん十年の実家は例の揺れで半壊してしまったらしく、赤瓦の屋根はもはやまばらまばらだ。はあ、と息を吐いて、瓦礫を持ち上げては放る作業を再び開始。自分が停止したのを見受けてか、共に瓦礫を漁ってくれている彼が一度休もうかと提案したが、)いい。大丈夫。……や、あんたは休んでいいよ。(素っ気ない言い方でもこちらが本当に言いたいことを拾ってくれるのか、彼は大丈夫と気を悪くした風もなく意味ありげに笑った。何やら面映ゆい心地すら抱きながらも、そんな思いを一蹴するように瓦礫を放る。しかしそうしている内にアジサシが何羽も頭の上を飛び、キュイキュイ、ゴェゴェと鳴いていったので、ほぼ反射で顔を上げる。視界には青く澄み渡った空が広がって、その明度に目を眇める。ついでに涼しい風が吹き抜けて、こめかみに流れる汗を冷ましていった。──あ。何とはないデシャヴュをようやく感じたのは、そのときだった。)押し入れ。(ほとんど不意に口を衝いて、ほとんど衝動で瓦礫を分けてある一点に突き進んだ。そうしてリビングから台所を介して、例の部屋へと辿り着く。言うまでもなく和室だった。その一点は無事だったのか、まるでここだよと訴えるみたくあの夢に出てきた光景と何一つ変わることなく、そこに存在していた。建て付けが拗れているのか硬く開かない襖に堰を切らし、蹴ったり拳を打ち付けたりしていれば襖が外れた。次にはべりべり破くみたいにそれを退かして、中に敷き詰められた荷物を分けて、『ネイ』とマジックで書かれた段ボールにありつく。見つけた。そんな風に急いて切らした息が、やたらと押し入れのなかでこもった。途端に慎重に段ボールを開けてみれば、中のものを漁るまでもなく一番に君臨するように、そのぬいぐるみは姿を表した。おそるおそると手にとって、「メリー」と試しに呼んでみれば、やっぱり情けないほど思いの外高い声が出る。だけど当然返事はない。それでも、途方もない記憶と思いがようやく今重なった気がして、息が震えた。そうして誤魔化すように、メリーをぎゅうっと胸の中に抱き締める。相も変わらず自分は変わらない。たくさん伝えたかったことはあったはずなのに、その一部すら口には出せない。だけど意に反して涙だけはぽろぽろと溢れて、熱いしずくがぬいぐるみへと落ちていった。今一つ遅れて、何か別の大事なものを見つけた彼が慌てた様子でこちらにやって来たけれど、情けなく丸めた背中を見てか黙り込むのだった。だけど。ごめん、今行くからと、今度こそ泣き崩れた顔を上げた。──雪が止んだよ。外はとっくに青空なのに、本当はずっと知っていたのに。自分の中でその声がまだ聞こえていたから。)
2022/2/19 13:22 [10]