(静静請看。)
zokki
ゾッキ
2022/1/11 11:44 [2]
この世界でただひとりだけが、『世界が終わった』ことを知っている。世界が終わったのは今から約三年前。きっかけは彗星の接近による酸素の欠乏と、時空のゆがみ、彗星を覆っていた毒素が次第に人類を蝕んだことによる人口の急速な減少と、精神に異常を来した生物のデモ、それに数々の未来人が予言してきた第三次世界大戦が、ついに現実のものとなってしまったことだった。気狂いを起こした猛禽類たちが人間を襲い始めたのと同時期に、象が共食いを始め、深海魚が一匹残らず海面に浮かび上がった。死骸を啄むコウノトリをさらにハイエナが噛み砕くというスカベンジャーの縄張り争いが激化し、知能を得た虫は鳥類への反撃を始めた。空が陰り、食物は育たなくなった。食糧難に見舞われた各地で戦火が広がり、火山は噴火を続け、絶え間のない地震が人々を揺すり続けた。一番はじめに世界からなくなったのは、夏である。終わりなき曇天。大気中には火山灰由来と思しき有害物質が多量に含まれ、ひとたび吸えばたちまちに噎せ返った。人類の殆どは猛禽類に目玉を抉られて苦しみの果てに命を落としたが、その次に多かったのが汚染された空気を吸い込んだことによる肺病であった。「特効薬の開発に遅れを取ったことが、人類の滅亡を加速させたのだ」──とある著名人が死の直前にこう語ったが、肺病の流行よりも前に世界各国の優秀な頭脳は軒並み帰らぬ人となっており、それは木乃伊取りが木乃伊になる以前の問題だった。世界屈指の土地面積を誇る大国の、そのどこかでは、とある一人の男が堅牢な檻の中に徹底的に守られていた。皇族の類か、希望の星か、はたまた上級国民か──……ついに彗星が衝突したとき、その衝撃はぐるりと地球を包み込み、数々の歴史的建造物が瓦礫の山と化した。大小様々の瓦礫はときに人々の命を奪い、ときに哀しみの波紋を広げ、ときに第三次世界大戦の終結を早めたが、世界を死に近づける一助を担っていたのは間違いない。現に……──男が命辛々に瓦礫を掻き分けて地上に這いあがったとき、男が過去に何者であったか、それを知るものは誰一人としていなくなっていた。世界には男以外、何も残されていなかった。この世界でただひとり、男だけが、『世界が終わった』ことを知っている。知ることを許された、唯一の人間だった。男が『彼』に出会ったのは、神からの愛を独占して凡そ一年が過ぎた、とりわけ寒さの厳しい夜のことだ。男が暮らしていた土地では食糧危機に備えて植物由来の人工肉が普及していたが、この頃にはもうまともな食料は軒並み底をつき、生ものはおろか加熱調理されたものでさえ信用に足るとは言い難くなっていた。人類が滅亡した後も暫く生息していたらしき鼠や、昆虫の類が、破竹の勢いで食料という食料を駆逐したために、男が口に出来るものは外部の影響を受けない缶詰や瓶詰の類か、極稀に出会う蛙や鳥がとびきりのご馳走だ。栄華の面影を残さない瓦礫と粉塵の街から街を往く最中、男は雨風を凌げる宿を探して、ジェンガの後半戦そっくりの廃墟に足を忍ばせた。その夜──『彼』は空から、まるで『彗星』のように現れたのだった。鳳凰の羽ばたきを知っているだろうか。大きく撓らせた翼の、羽の一枚一枚が風に擦れて、ザザザ……と細かな音を立てることを、知っているだろうか。少なくともこの世界では、男だけが知ることを許された。彼は鳳凰の羽を有していたが、鳳凰ではないようだ。でなければ「やあ、ともだち」と気さくに声をかけてきたりなどしなかっただろう。それまで自分以外に言葉の通じる生き物を見たことがなかった男は、突然の出来事にポカンと惚けて彼を見つめた。何も言えずにいる男に向けて、彼は背を向けて立派な翼を大きくひろげ、バサア、バサアッと風を打ち、つむじ風を巻き起こした。バサア、バサアッと繰り返すうちに、次第につむじ風は巨大な竜巻へと変わってゆく。曇天がぐるぐると渦を巻く。手入れと無縁だったお陰で随分と伸びてしまった男の髪もぶわんぶわんと風に撒き上がり、服はばたばたとせわしなくはためき、足元から突き上げるような勢いを感じる。「アッ」とつま先が浮いたと思った瞬間、男は彼の背に乗り、天高く上空へと羽ばたいていた。空を飛んでいる!男は耳元で感じる風を切る音に、辛抱ならず心臓をせかせかと跳ねさせた。「ほら、あそこに、ともだちの楽園があるよ!」「いまはまだ途中なんだ。ともだちを迎えたら、うんと完成に近づくけどね」「書庫があるよ」「それにワイナリーと、製麺所もあるよ」「なんでもあるよ」「あっ、あとね、女の子がひとりいる!」あそこ、と彼が指さす方角の、うんとうんと向こうのほうには、壊滅的な足場により、歩いては辿り着けないだろう小高い山がある。男の目には、その山の頂から、ふわふわとした綿菓子のような雲がぽこんと生まれては、すううっと空に昇ってゆくのが見えた。あれが楽園に続く階段に違いない。彼はひときわ大きく羽ばたくと、ぐんぐん加速し、男を連れて、山の頂から生まれた雲の中に飛び込んだ。渦を巻くように旋回飛行をしながら上昇してゆくので、男は絶えず強風に煽られ続けたが、しっかりと彼の背にしがみつくことで何とか振り落とされず持ちこたえることができた。程なくして、地に足が付く感触を得る。おそるおそる、ぐっとかたく瞑っていた瞼を持ち上げたとき、男の目の前には、新たな世界が広がっていた。緑は生い茂り、川のせせらぎが聞こえる。向こうに見えるのは果樹園だろうか。あれほど肺を蝕んでいた薄汚れた空気が、すっきりと軽くなっている。ピチチ……と小鳥のさえずりさえ聞こえた。赤いレンガ造りの建物がみえる。牧場には牛と、馬と、羊がいた。池の表面をあめんぼがスイスイと泳いでゆく。ぴちゃんと魚の尾ひれが水面を叩く音もした。鳳凰の羽を持つ彼の姿は、いつの間にかいなくなっていたが、代わりに男の隣には『彼女』の姿があった。男の顔を覗き込んで『彼女』がにっこりと微笑む。その瞬間に、男はこの楽園の完成を覚った。この世界でただふたりだけが、『世界が終わった』ことを知っていた。そしてこのふたりだけが、『新たな世界の始まり』を知り、その成長を瞳に焼き付けたのだった……────ぱたむとA6判の世界は閉ざされた。後ろを振り返れば、先の見えない真っ暗闇が広がっている。見上げれば、暗黒が手招きをしていた。わたしの後ろにも、前にも、道は無い。ここは無人星。あるのはただただ、暗い、寒い、無音だけ。冷たい、さみしい、孤独だけ。行けども、行けども、終わりのない……先の見えない暗闇だけ…………。(────あのね、ここまで、書いてたんだよー、とあどけない顔付きのこどもがぱさぱさと笑う。楽園のすぐそばの崩壊した瓦礫に腰掛けて、手を伸ばさなかった綺麗なものを眺めながら、口笛を吹くようなかろやかな音が彼のまわりを取り囲んだ。すぐにでもと求めるならばA6判の世界はまた開かれる。『無人星』は序章に過ぎない。頁を戻せば、先の見えない真っ暗闇が広がっている。見上げれば、相変わらずの終わりなき曇天がそっけなくこちらを見ていた。捲れど捲れど真っ白に続く頁の上に、彼とどんな道をしたためよう。それにこの本のタイトルはどうしよう。人類漂流記じゃ味気がないから、いつか一人と一冊がともに永い眠りの床につくまで、ゆっくりのんびり考えてみようと思う。)
2022/1/11 11:44 [2]
本文
名前
パスワード