(我不想消失。)
zokki
ゾッキ
2022/1/17 14:04 [9]
(僕は人間に換算してみれば3歳で、それは彼と出会ってから3年もの月日が流れたことを意味している。全壊した病院の一角において、ビッグ・フットや絡新婦どころか、あのシェヘラザードにさえなりえた女性を躊躇いなく追いはらってしまった彼に率いられて、今日でかれこれ3日目になる。未踏の地を求め続ける旅人である僕たちは、奇跡的にほとんど無傷の状態で見つかったシモンズ・ベッド──この世界にあってほとんど無傷というのは、ノー・ブランドか、あるいはそれが煎餅布団でも、かつての高級ベッドと同等以上の価値があった──に身を横たわらせた翌日から、早くもそれまで通りの旅に戻った。しかしそれは、僕にしてみれば、あるいは彼にしてみても、野天の三ツ星ホテルが恋しかったわけじゃないことは確かだろう。なにせ、夜空を見上げても昼夜を問わない分厚い雲が一面を覆い隠していて、星のひとつも輝いていないし、申し訳程度に持ちこたえた壁のせいで隙間風が束になって耳の後ろを撫で続けるのだ。辛うじて紐が繋がっているだけのナップザックの底に数冊の本と、レギュレーター・ストーブと、スキットルと、ロキソプロフェンと、その上に二三のもぎり取った果実を乗っけて道らしきものを進むうちに、みるみる緑が減っていくのに気が付いた。どうやら楽園を通過しきったものらしい。やれやれ、またこの風景か、と僕は思った。けれども、その風景は僕に不思議な心地をもたらした。悪くない。悪くないどころか、楽しみにしていたとっておきのブランディーを開栓するときのような清々しささえあった。「ところで」と音にしてから、僕は何を言うべきか考えた。)あったのかな、その……天啓は? といっても神の教えという意味じゃないよ。この場合の天啓というのは、つまり──超自然物から与えられたお告げということだけれど。僕は神なんて大それたものじゃないし、神なんて不確かなものがいないことは、火を見るよりも明らかだ。それはこの世界が証明している。ちょっと過剰なくらいにね。そうは思わない?(僕はスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビイ』の印象的な目を何を見るでもなく細めながら、彼に問いかけた。ふと足元を見遣ると、ちいさな石ころと石ころの隙間から、短毛犬のしっぽの先のような草が芽生えていた。通過したものだと思っていたが、ここまではまだ、楽園の手が伸びているのかもしれない。僕はすこし考えてから、首を横に振るかわりに、身体を──A6判のすべてを左右に揺れ動かした。「いや、やっぱり忘れてくれ」と僕は笑って言った。)気付かないなら気付かないままで……その方が物事としては自然な形だし、あるいは、僕にとってもその方がいいのかもしれない。なぜならもう叶ってしまったことだしね。(僕はあの時のページの引き攣れるような痛みや、こどもがおままごとで「ごはんですよ」と提供するようなライス・ペーパー・ボールになってしまった情けなさや、切々と別れを惜しむシェヘラザードの足音や、乾いた銃声と深々と刻まれた弾痕、それに彼が僕にくれた言葉の一字一句を未だ鮮明に思いだすことができる。それは3日後、3か月後、3年後にも同様のことが言えるし、もし30年後にもまだ僕たちが健在なら、やっぱり同様のことが言えるだろう。それこそが僕の願いだ。そして、彼にとっても。)
2022/1/17 14:04 [9]
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