(転倒したトラックのなかで目を覚ましたとき、最初に目に飛び込んできたのは自分の血で汚れたハンドルだった。じくじくと痛む額を押さえながら、どうにか車内から脱出して周囲を見渡したときにはもう、とっくにみんな死んでいた。辛うじて覚えているのはあまりにも唐突で一瞬の大きな揺れと、車窓から見た前の車両や標識、交差点を行き交う人々が地面から強制的に離されるようにして浮いていた、そんな一瞬の光景。一体この世界で何が起こって、一体どれだけの人が死んだのか、それを調べてくれる人も報せる人も嘆く人もすでに居ないから詳しくは知らないけれど、多分おそらく、どうやら世界は滅亡したらしい。しかし──滅亡して楽になったこと圧倒的第一位といえば、それはわざわざ喫煙所を探さなくても良くなったこと。冬の晴れた早朝、とある展望駐車場で荒廃した街を見下ろしながら、一服する生き残りがひとり。澄み渡った空気と一緒に煙草を吸い込んで、ふーと小さく吐いた青い煙が朝の空気に消えていくのを見つめ、彼女は完璧な一日の始まりを確信した。携帯灰皿に火種を揉み消すように吸い殻をねじ込んでは、影がやたら濃い朝日に踵を返してキャンピングカーへと戻る。もちろん自分の車ではないし、これみよがしに備え付けられている水道はとっくに駄目になっているし、運転席には未だ"本当の持ち主"が乗っているけれど、なんと言っても車内で守られていたベッドがあるので、昨晩はこの車で快適な睡眠ができた。キャンプ地だった場所には日々の生活に役立つ遺産がごろごろ落ちているということを、数年生き延びている内に知った。)メリー起きなー。(シンクの前に立ち、濾過した水の入ったペットボトルと、荒れた店内のドラッグストアで拝借した歯ブラシを手に、まだ眠っているかもしれない友人に声をかける。夜更かしした朝、人でも殺しそうな目で飛び起きて仕事に行く準備をしているわけでもない。何ならそんな日は二度と戻りはしない。それなのにまだ眠る誰かにわざわざ目覚めてほしい。だからこそかれこれもう一年もの間、その声は決まっていつも穏やかだった。)
2021/12/12 00:58 [36]
メリー
2021/12/12 10:53 [44]
(起こしてくれる彼女の声が決まってやさしいから、メリーの寝起きはたいてい悪い。ついでに起き抜けすぐは“声というのは口から出すものだ”ということを失念しがちだ。んぃぃぃぃずぅみたいな音をへその下辺りから出して、いやっいやっとでも言うように少し黴臭い枕へ頭を擦りつけ駄々を捏ねる。友だちが朝の支度を始めて、もう寝床に戻ってきそうにないのを悟っても往生際悪く転がったまま顔を上げずに。にるにると触腕を三本ほど細く、長く長く伸ばして彼女の身体へ這わすだろう。文字通りのうざ絡みだ。)ねー? ねー ねーえ ねいー。ねいー。(発声練習だか呼びかけだか。このところ朝一番にきちんと喉を通して口から出すのはだいたいこれらの音だ。一本は金糸を下のほうで緩く束ねるようにその髪で遊び。一本は首の裏を通って一周巻きつき耳をくすぐる。息苦しくはないだろう。最後の一本は歯ブラシを持つ手からそれを取り上げようと悪さを働く。)ねいー。ねいぃ。めりーといよお?(嫌だと言ったってどこへも離れていきやしないくせ、まるでそうしなければ彼女がどこかへ行ってしまうようにぐずつくのだ。伸ばしていない十数本が安定を欠いた動きでざわざわ蠢く。友だちの肌へはたしかにぬるついた生温かさを残すくせ、ベッドのシーツはさらりと乾いたままで、ぐちゃぐちゃのねばねばにしたりはしないのが微かな救い。)
2021/12/12 10:53 [44]
(地獄の底から這い上がるような音が響いて、けれどそんな非日常めいたものがいつもと変わらない朝。それってお前の欠伸?などと歯ブラシを杖みたいに振りながら、軽やかな笑い声をもらして、その大いなる神秘の音の正体なんて訊いてみる。友人はどうやらまだおねむらしい。起こしてしまって忍びないところではあるけれど、悪びれる風もなく歯ブラシに消費期限間近の歯みがき粉をつける。こちらへと伸びる黒い触腕も言ってしまえば慣れたもので、そう大して気には止めず、今朝も飽きたらず名前を口にされたなら、「はいなーに」なんてこちらも釣られて間延びした声を返したけれど。)……ってちょ──ッと!こら!(ふと首筋に纏わりついたぬめりにぞわりと背筋が粟立ち、どこかもたついた手で触腕から遠ざけようとした歯ブラシも、まんまと取り上げられてしまった。前言撤回で、やっぱりどうしてもこのぬめぬめした感覚にだけは未だ慣れなかった。)あ〜、わかったわかった……、てか、いつも一緒にいるでしょ。今だってそう。(ぐずつく子供をあやすように、首に巻き付いた細い触腕を指先でとんとんと叩いた。当然指の腹はぬめりに触れるわけでやや苦々しい顔は隠せないが、いつものことながら、この友人のまるですがるような物言いや仕草に、彼女は弱いのだった。)今日はふたりで海に行こ。運がよけりゃ昼飯は焼き魚が食えるよ。(にかりと勝ち気な少年みたいな笑顔を象ってみせて友人へと歩み寄る。魚をレクチャーするようにすいすい泳がせた手のひらがココア色の頭にぽすんと着地すると同時、そのとなりへとベッドに腰かけた。)だから出掛ける準備。ほら、歯ブラシ返しな。みがいてやるから。それとも自分で出来る?(取り上げられた歯ブラシを返してもらうよう手のひらを出して催促するも、ざわざわと蠢く触腕は万能なのだったと当然のことを思い出して、というか目の当たりにして、大いなる神秘にひどく平和な会話を垂れ流す。)
2021/12/13 13:31 [67]
メリー.
2021/12/14 11:56 [82]
(びっくりした彼女が鋭めの声を出した一瞬、コップの水にぽとりとインクを落としたように、メリーの髪の毛が青い黒に染まる。きゃきゃっと甲高い笑い声を上げて愉快そうに。その波も柔らかくあやされてすぐ引いた。手が置かれるころには茶色い頭。)ウニミ? うにみ…………いくう。(イカだのタコだのによほど近い見た目をしているくせ、あからさまに海の概念があやしい反応でもってそれでも提案を受け入れる。友だちが行くところにはどこへだってついて行くと決めている。たとえば今日は産業廃棄物の山に登ろうと言われたって頷いたろうが、彼女が笑っているからきっともっといいところだ。)…………んー。んーん。(歯ブラシを返してに少し迷ってイエス。自分でできる?に迷わずノー。嘘をつくときも黒くなるのでメリーはとてもわかりやすい。歯ブラシを彼女の手に間違いなく戻して、あっちこっち巻きついていた触腕たちをしゅるしゅる縮める。やろうと思えばすばしっこいネズミだって捕まえるのに、歯を磨くことくらいわけはなかった。甘ったれたいだけのきもちひとつで無力ぶりっこ。現金にベッドから起き上がりぱかっと口を開けるその間、ひとの形をしている方の腕は意志持たぬ袖のようにだらりとぶら下がったままでいる。)うにみ いく?すぐ? ひる?あさ?ごはん?いま? うにみ?ねい、すき?(気持ち行儀よく触腕を揃えて。そもそも歯を磨く必要があるのかは怪しいところだが、友だちに手をかけてもらえることはなんであれ、メリーにはとても嬉しいことだった。)
2021/12/14 11:56 [82]
ウニミじゃなくて海。う、み。うみ。うみをみにいく。(手本のようにゆっくりと音を発してみせる。こんなふうに友人に言葉を教える場面も、今となってはありふれた光景だったに相違ないだろう。こちらの言葉はある程度理解できているようだし、別にそう難儀しているわけでもないのに、友人と会話が成立できるようになっていく毎にひそかに喜びを抱いていた。)どっちだよ。……まーいいけど。(世話を焼くのが好きってわけでもないのに、小さな友人には何かと弱い。明らかな嘘に追求することなどなく笑い、間違いなく歯ブラシを受け取って、)準備できたらすぐ行くよ。朝ごはんは行きながら食べる。……海はべつに、好きでも嫌いでもないけど、(などと告げながら友人の歯を歯ブラシでやわく擦り、いーってしてとか言いながら、結局先に手が出て相手の口角を指で伸ばす。途切れた言葉の続きをしばらく探り当てるように黙り込んだけれど。)なつかしい。って思うかもね。上京する前は海の近くに住んでたから。(果たしてすべて伝わるかは分からなかったが、ふたりでわざわざ海に行くのは初めてのことだったから、過去に自分が住んでいた場所を友人に話すのも初めてのことだった。小さな島国の、そのまた端っこの南の島。海の向こうは渡れないから未だに安否も知らないけれど、きっと死んでるんだろうなと確信してしまっている母のことを当然のようにぽつんと思い出す。だけど瞬時に振り払ってしまえる程度に時間は過ぎていたし、そんな状況に慣れすぎてもいた。)メリーも本当は海の真ん中で生まれたんじゃない?足もだけど、色変わるとことかイカっぽいし。(ふっといたずらっ子の少年みたいに笑って、紛れもなく下らない揶揄を宣った。今度は奥歯を磨こうとして、あー、と自ら軽く口を開いて"口開けて"なんて言葉を示す。)
2021/12/15 01:45 [93]
メリー
2021/12/15 18:03 [98]
う、に。 う、ぃ……ん、む。み。 う、み、お、みにーく。(近ごろではずいぶんすらすらっとなぞってみせることもあるのに、意識して正しく真似ようとすると途端その作業はスローになる。吸い込まれそうに一心に、彼女の唇の動きを見つめて、一度くっつけるほうの音だと確認して、えっちらおっちらトレースしてみるといった具合。初めましてはきっと何か、彼女を寂しくさせるものか、悲しくさせるものがあった夜のことだ。暗がりからぬらりと這い出た化けものの腕。当時まだごぼごぼと鳴るばかりだったメリーは、害意がないことの示し方がわからずにごぼごぼと大粒の涙をこぼした。それが今や進歩したものだと言えるだろう。歯みがきの間は悪さもせずに、いーっの状態を保ったり、気持ちよさそうにあーっと顎が外れるほど大きく口を開けていることだってできた。)なつか……い むかしぃ、のお、うち ね?(あまり聞き馴染みのない言葉を、知っているものに手繰り寄せて噛み砕く。メリーにしては頭を使う弾み、特に意味もなくなにごとか数えるように指折られるのは幼い少年の手の癖。でしょう、とでも言うように少し得意げに、少し不安げに答え合わせをしようとした顔つきがふと心外に膨れ。)めりーあ、イカじゃないっ。(メリーにとってのイカというのは、静まり返ったスーパーやドラッグストアのおつまみコーナーで干からびているぱさぱさの乾きものである。噛めばよく味が出ることは知っているけれど、あれと同じにされちゃあ不服というものだ。あんぐり口を開けたまま、「イカららいおぉ……」歯ブラシに舌の動きを阻まれながらぷりぷりし終えれば、さすがにぐちゅぐちゅぺっは自力で。ようやくシンクの前まで這いずって、貴重な水で口をゆすぐ。メリーのブラウスとベストはいつだってこざっぱりと綺麗なので、着替えたりする必要はなかった。)ねい、ねい、うんてん? あれぇ、いなくする?(つまり海へはこの車で行くのかと、太めの触腕を伸ばすのは運転席。本当の持ち主にご退場願うなら任せてと、それが言いたい。)
2021/12/15 18:03 [98]
ネイ
2021/12/17 03:50 [118]
(友人の口から確かめるような音がふよふよと発されるたび、その緩やかさに合わせて彼女も唇を動かしながら、そっと頷いた。友人が海の発音を習得できたなら妙な達成感など得て、「よしっ」どこか嬉しげに髪をくしゃくしゃと撫で付けるまでがセットだ。今となっては友人に容易く触れてしまえるけれど、出会ったばかりの頃はそのおどろおどろしい触腕に声を上げ、ましてや存在自体を認めることだって出来なかったのは言うまでもない。一度は拒絶したものに世話を焼きたがって、もっと話ができるようにと言葉を教えて、それからきっと途方もなく救われているだなんて、とんだお笑い草だった。)そ。でもおうちだけじゃなくて……あー、そうだな……、……ま、むかしってつくものなら声もにおいも食べ物も、ぜんぶ"なつかしい"になるわけよ。(少年の間違ってはいないが花丸には一歩届かない答えに、一応補足などつけてみる。お前にもいつか分かるよと彼女にしては静かすぎる笑みを落としたと思いきや、まったく不意打ちで、友人の膨らんだ頬に声を上げて笑うのだった。)はーイカの刺身食いたい。(ごめんごめんとか謝っておきながら、意地悪の延長で友人に伝わるか分からない無慈悲な揶揄を呟く始末である。とはいえ今日の海行きも、元はと言えば魚介が食べたいなんて単純な理由。出掛ける準備も出来たなら、いよいよぶち当たる問題はこの車の本当の持ち主のこと。)いーよ。お前はそんなことしなくて。その代わり海についたら、たくさん魚を捕まえてよ。イカもね。(軽やかに言いながら重いというのでもない足で外へ出て、「助手席乗ってな」と言い残して運転席の方へと回る。キャンピングカーなんて乗っているくらいだ、おそらく車好きだったんだろう。積まれていた予備のタイヤとバッテリーを有り難く拝借し、昨晩の内にせっせと交換してエンジンがかかることも確認済み。人類が滅亡してからというもの早数年。動かせる車を見つけるのも一苦労になってきた中、まったくもって奇跡的な出会いだったと言って相違ない。時を経て乾ききった白骨を座席から下ろすのはそう困難でもなく、天井の埃を床に落とすような、それこそ無慈悲な手付きだったろう。シートはあちこちが黒ずんでいるけれど、死体の山々を見てきた生き残りが今更気に害することもない。何ならご丁寧に花でも手向けてやるような気概すら失っていたが、)さすがに埃っぽいな。(ご当地のゆるキャラキーホルダーがぶら下がったキーを回してエンジンを掛けながら、何とはなしに選んだ骨の一部をダッシュボードの上にこつんと置いた。それから癖みたいに手狭そうにして、ジャンパーのポケットからニット帽子と煙草を取り出す。煙草は骨のとなりに。ニット帽は友人が助手席に座っていたなら、そのまま頭に被らせた。なんと言っても冬の海は冷えるので。)んじゃ出発。(シートベルトをかけながらハンドルを回し、展望駐車場から出るべくウィンカーを切った。ふたりっきりの世界で必要なわけもないから、やっぱりそれも癖でしかなかった。)
2021/12/17 03:50 [118]
メリー
2021/12/18 15:42 [133]
(メリーのむかし≠ヘ実体験に基づくもので言えば高々数年前のことだ。彼女が話す、自分と出会うより前のこともむかし≠ニ認識しているけれど、いつか≠ヘちっとも想像がつかず不思議そうに首を傾げた。たとえばいつか#゙女がもうそこにいないメリーを懐かしむ日が来るとして、どこまで行ってもメリーが彼女の存在を懐かしむ日は来ない。そういうものであるための、実感のなさかもしれなかった。)サシミ……(手入れする人間がいなくとも中には逞しく生き抜いているものもある野菜や果物に比べ、生の魚や肉は入手難度がひどく高い。イカそうめんでもあたりめでもくんさきでもない新しい語彙を獲得し、それが一体どんなものであるかも知らないまま)ねいのさかな。ねいのイカ。ぜんぶつかまって、あげるー。(とにかく彼女が食べたいものなら自分持ってきてあげなければならない。どんぐりまなこを使命感に燃やし、おやすい御用だと過剰に請け負う。つかまえるということは、サシミのイカは動くのかしらん。なんだって任せてくれていいのになあという顔つきで、それでも言われた通りずりずりと助手席へ向かう。その場に留まって動かす触腕は時にしなる鞭のように鋭いけれど、自らの体を移動させるときの動きは決して早くない。およそ腰の曲がった老人がカートを押して歩くときくらい。高めの座席によっこらしょと収まるころには彼女の手早い仕事が済みかけだ。)まどぉあけて、はしろお。(自分が這うより彼女が歩くよりずっと速いスピードで、風を感じながら行くのは大好き。どこか調子外れにうたうような節回しで、エンジンがかかれば初めての車とは言え勝手知ったるとばかりに窓を開けるだろう。ニット帽で頭はあたたかい。ダッシュボードの上で白い骨がことこと揺れる。ねいはうみがなつかしい、ねいはイカのサシミとほねがすき。メリーはシートベルトはきらい。カーオーディオのつまみを回して、どこの局に合わせても大差ない死んだラジオのノイズを聞くのがすき。ザ、ザ。ピーーーッザ、ザッ。)ねいのごはん、どーれえ?(行きながら食べる朝ごはん。返事がかえってくれば車内のどこにあっても手繰り寄せて、運転中の彼女の口元まで運んであげるつもり。)
2021/12/18 15:42 [133]
ネイ
2021/12/20 04:20 [155]
(何やら使命感に燃えるまんまるい目を、脱力したような微笑で受け止める。世界は滅亡しているというのに、打って変わって自分は笑うことが増えたように思う。言わずもがな、それは紛れもなくこの友人のおかげだ。「頼むよ」と何とはない言葉を返せるのも、構えるのも礼を言えるのも優しく出来るのも、もう本当にひとりきりなんだと途方もなく思い知っているのだから。死臭もかすかな腐敗臭も、埃に混じった誰かの内臓の残滓も、馬鹿みたいに慣れてしまって、埃っぽいと訴えるその表情は温泉の硫黄を嗅いだときみたいな実に安い険しさだったろう。)うん。…………飛び出さんでよ?(などと一応念押ししておきながら、終末など知ったことではないと言わんばかりに冷ややかで澄み渡った冬の空気が入り込んで、金色の横髪が翻る。)ビスコまだ残ってたでしょ。あたしのリュックの中に入ってる。(半壊した小学校で見つけたビスコの保存缶も、当初は久しぶりの甘味だとはしゃぎ、子供の姿をしているばかりに友人も気に入るだろうと嬉々と食べ合ったものだった。少量で十分なカロリーが摂れるので、ここ一週間食事のメインはこのお菓子だったけれど、)さすがに飽きてきたな。(前方に視線を逸らさぬまま、「ありがと」と礼をひとつこぼして少年の手ずからもとい触腕からビスコを口に咥えたが、咀嚼すればじゃりじゃりとした食感に控えめな甘さが広がり、ややげんなりしたふうに思わず本音をぽつり。仕舞いにはビスコをたいらげたあと、完全に染み付いていた食後の一服で煙草に火をつけてからそれが最後の一本だったと気付き、煙草無くなっちゃったとか子どもぶった声音でひとりでに茶番ぽく嘆く。もっとも、滅亡した世界で貴重な食料に飽きて、娯楽品でしかない煙草が無くなったことに悲しむというのは、それはそれでひどく悠長めいているという意味で前向きなのかもしれなかったが。悲劇というよりか、そんなありふれた平和を繰り広げながら車を走らせ──およそ三十分。潮の香りが鼻腔をついた。きっとそんな何気ないタイミングで、ふと思い出したことがひとつあった。)お前は覚えてないかもしんないけどさ、あたし達が初めて会ったのも、港だったんだよ。(覚えてない、というよりかはそれを海だと知らなかったに違いない。だけど、だからきっと潮のにおいはしていたはずで、波の音は響いていたはずだった。日本を一周して、誰も彼も本当に死んでしまったんだと思い知った場所も、「ママ」って子どもみたいに泣いたのもちょうど海の近くだった。だから本当の本当は、海はどっちかっていうと好きじゃない。でも今は友人が傍にいるから、きっと懐かしさで泣き出すことはないはずだって確信していた。)──ッし到着!(しかも朝食のおかげで頭の中は魚とイカのことで頭がいっぱいである。無造作に浜辺手前の坂道に車を停めて、海を瞳に映しながらシートベルトを性急な手付きで外すなり、車内から出る。友人が出てくるのを待って、もし少年がぐずって出てこなかったり、蛞蝓とまでは言わずとも相変わらず緩やかすぎる歩行なら、早々に痺れを切らして触腕のぬめりなんて忘れたふうに、少年を抱きかかえて海へと走っただろう。せっかちなのは終末関係なく元からだ。)メリー!これが海だよ。(さくさくと砂を踏んだときの足裏の感覚だって懐かしくて、けどその足取りはきっと弾んでいた。何なら声音だって。世界に残ったのがふたりっきりだとしても、海はそのまま果てしなく広くて、日の光をいっぱいに浴びてきらきら輝いていた。)
2021/12/20 04:20 [155]
メリー.
2021/12/21 14:56 [168]
(ほの甘く素朴で、ひとつの刺激もないお菓子の味を初めて口に入れたときと変わらず愛している。びすこー、と人の名前みたいに呼んで彼女のリュックをまさぐる間、瞳は全くそちらへ向けず運転中の横顔を見つめた。何かを探したり、捕まえたりするためだけなら、そのものを目で見ることはメリーにとってそれほど重要でないようだ。実際迷いもなく探し当てた保存缶。滅亡後の数年を生き延びたそれも、ひとたび開封すれば少しずつ湿気ていく。彼女の口に一枚運んだら自分も一枚、をゆっくり三回ほど繰り返せば終末朝ごはんにはじゅうぶんか。たしかにメリーが食べたはずのビスコはきちんと缶に残っているから、彼女はまだしばらくこれを消費しきれない。)ましゅわろ、びっけっとはさんでたべたい。(ビスコの見た目はいつだったかキャンプ飯よろしく火で炙ったとろとろの甘味を思い出させる。非常食対応仕様の缶詰と比べてそう長持ちするものではないから、自作にでも乗り出さない限りもう出会えないお菓子なのかもしれなかった。触れない時間が長いとせっかく覚えた発音も怪しくなっていく。)ミナト?(とこちらは初めての語彙に本日何度目か首を傾げてみせるけれど、やがて遠くに波の音、潮風のにおいを感じれば、何か思うところもあるように窓の外へ不器用なほうの手を伸ばした。そうしてほんの少し心配そうに運転席の顔色を窺うさまからは、あの日の記憶があることを察せたかもしれない。ごぼごぼと泣きながら傷心の彼女を抱きしめたがって追いかけ回したあの日と比べて、しかし今日はずいぶん元気そうだ。)ねいー、ねい まって、めりーも……っ ?(もたもたもたと助手席から降りて、のたくらのたと後に続こうとしていれば、歩みの遅い触腕がふわりと宙に浮かび上がる。びっくりの弾み、ほとんどぜんぶの腕が咄嗟に彼女へしがみついて、それからこわごわと、歩きにくくないように拘束を緩めた。)うみ、ぃ………………(腕の中から振り向きざま、その広大さにぽかんと目を丸くして)…………!……!……………!(しゅるりと持ち前のぬめりであっさり抱っこから抜け出すや、感動で言葉を忘れヌ゛ブボボボと鳴る。日の光を受ける水面を映して瞳もまたきらきら輝いた。自らのとろさも棚上げに、急かすように友だちの腕を引く。波打ち際までやってくれば、まるでそうするのが当然のようにひとり服着たままで海に入っていくだろう。泳ぐのは、歩くのとは段違いに早かった。あっという間に足がつかないところのもっと先まで辿り着き、ぷは、と息継ぎをして彼女に手を振る。)ねいー!めりー うみ、すきぃ……(最後はまた頭が水面に沈んでぷくぷくとしたあぶく混じりの声。おおよそ主旨は伝わっているといい。自由自在な泳ぎのわりに不思議と漁の成果はそこまで芳しくなかったけれど、昼過ぎには自分の腕を餌がわりにアオリイカを釣り上げて、得意げに見せびらかせることにはなるだろう。)〆
2021/12/21 14:56 [168]
(太陽の光を反射してきらきらと輝く海は、やっぱり馬鹿みたいにあの日のままだ。こうして友達と海に来たのは初めてのことのはずなのに、どうしようもなく懐かしい心地になるのが不思議で、だけど本当は分かりきってしまっているような気もして、ひっそりと海を映した瞳が心許なさげに細くなる。ああいやだ。鼻の奥がツンとして、そこから何か途方もない気持ちが痛いほど広がっていきそうになって、──だけど。ふと腕の中からすり抜けられていく感覚を感じ取って、はっと視線を落とす。海に心を奪われてしまったみたいに砂の上を漂い、機械音のような動物のようなとも例えられない声を上げる友達の姿に、完全に気を取られる。しかしおおよそこの世には存在しないような声でも、これは感動しているときの声だとなんとなく分かるのは、四つ分ばかりの季節をずっとずっと一緒に過ごしてきたからだろうか。海に夢中になっている小さな神秘の様子がなんだか可愛らしくて、つい気が抜けたように笑ってしまった。)綺麗でしょ。(海は自分のものでもないのに、どこか誇らしげに言った。自分もさくりと砂の上を歩きだして、友達の隣に並ぼうと──するより前に、不意打ちで腕を引かれて、まるで先ほどと立場は逆転した。だけど相変わらず友達は緩やかな歩行で、急かされるというよりも、ただふたり手を繋いで波打ち際まで寄っていくような格好となっただろう。さっきまでの泣き出してしまいそうな心地なんてとっくに忘れて、ついでに風は冷たいけれど日の光はあったかくて、つい繋いでいる手を揺りかごみたいに揺らしたりした。)さすがに素潜りは無理だね。寒いし。(波打ち際で歩みを止めて、釣り道具の一つや二つはあるのではないかと相変わらずの呑気思考で浜辺の方を見渡す。しかしそうして目を離した隙に、またも手ずから何かが離れていった感覚を感じて、釣られて視線を戻せば)……は?……えっ?ちょ、ちょっとメリー?……え!?(あまりにも唐突のことで一歩も二歩も理解は遅れ、きっとひどく冷たい海の中で少年はなんともないのかとか、衣服を着たまま泳ぐのはあまりにも危険だとか、何なら冴えていないとまで言える常識にとられた彼女は、呆然と立ち尽くすばかり。いや違う。波に浚われる前に助けないと。しかし自分も靴を濡らして海に足を突っ込んだ瞬間には、どうやら泳ぐのは得意らしい友達は、ちょっとした点にしか見えなくなっていた。)だ、だいじょうぶなのか……?(慌てているこちらのことなんてどこ吹く風。大丈夫だよーとでも言うようにこちらに声を放ち、目を凝らせば何やら自在に海を泳ぐ少年の姿が見えた。少し置いていかれたような気分にもなったが、手を振り返す。何にせよ友達も海は気に入ってくれたらしい。心配する必要もないと分かったなら、自分も釣具を調達してきて食材確保に勤しむこととした。まさか本当に捕まえてくるとは思っていなかったから、少年が自慢げにアオリイカを見せて来たときには、感嘆したような驚きの声を上げただろう。自分の釣果はまずまずで、昼にはふたりで焼き魚を食ることが何とか叶った。友達もいよいよ生きたイカを見たということで、「似てるっしょ?」なんて意地悪をのたまいながら。)〆
2022/1/15 16:31 [182]