A:(どうかきみがわらえますように。)
root
ルウト
2021/12/22 22:01 [14]
(夢とは、睡眠中にもつ幻覚である、という解釈がある。いかに不可思議なことも当然のこととして疑いもせず受け入れてしまった経験は、誰しももつものだろう。人ではないから、まんどらごらは、夢を見ない。彼が眠りに落ちれば、それは世界から切り離されて、淡くなるせいだ。夢を見るのはただ彼だけで、それは、その夢のなかへとそっと溶け込んでいる。起きている間、一緒にいる時間が長いから、夢の中にもそれがそれとして存在することだって、さほどおかしなことでも、珍しいことでもないかもしれない。──そこは、ぽかぽかとあたたかな光の射す木陰だった。柔らかな芝生に落ちる木の葉の影は、やわらかな風が梢を揺らすたびにきらめきを翻して揺れていた。終末なんてひとかけらの気配もないような、穏やかな午后。に、似つかわしくない騒々しさが、遠くから真っ直ぐに樹の根元の彼へ、背後の方向から近付いていく。)きゃああああああああああたーーーすーーーけーーーてーーーーー!!!(もちろん、毎度おなじみ、まんどらごら。二本の足を必死に動かして、いつもの3倍の速度で駆けてくる。その後ろを猛然と追いかけているのは、お洒落な服を着こなした、二足歩行の白いうさぎだ。赤い目をぎらぎらさせて全力疾走していることを除けば、ちょうど、絵本の中から出てきたような出で立ちである。)たす たすけてええーー!!!(わーんと騒がしく泣きながら走るそれを見れば、“夢の外”との違いが明白になるだろうか。その違いが当然のことと受け入れられるかどうかは、彼の認識次第だろう。ともあれ、白いうさぎに執拗に追いかけられているまんどらごらは、フォルムこそ常のとおり。だがしかし、その色と葉はどこからどう見ても、うさぎの好物として名高いあれ──二足歩行の人参となっているのだった。)たべ たべられるう(情けなく悲鳴じみた声を上げてうさぎから逃げ続けたそれは、彼の元へと辿り着くと、ぴょーんと大きく跳躍した。彼に受け止めてもらえると、少しも疑わないみたいに。)
2021/12/22 22:01 [14]
kaname
2021/12/23 12:27 [23]
(夢の世界における少年は、中学一年生だった。その身にまとう制服のサイズは現実のそれと変わらないけれど、木漏れ日の差す顔はまだ幼く、黒い学ランの袖口も擦り切れてはいない。芝生のそこかしこに咲く小花が風に揺れる様を眺めながら、時折膝の上に置いた本に目を落とす。オレンジ色の文字で印刷された英単語と、その日本語訳。赤いシートが挟まったその本には、中学三年間で習う英単語がぎっしりと詰め込まれている。英語の授業では、毎回最初の十分間で小テストを行うから、ひとつ前の授業が終わった後には必死になってテスト範囲のページを暗記しなければならないのだ。見渡す限り続く草原のどこにも学校は無いのに、少年は何を疑問に思うこともなく勉強をしている。夢ではどんなにおかしいことも、本当の出来事になってしまう。たとえば足元の花を摘んで吸った蜜がサイダーの味をしていることも、空を飛ぶちょうちょからバターの香りがすることも、何らおかしなことではなかった。)…………ん?(気持ちの良い昼下がりにお勉強なんてしていられない。夢の中でも勉強嫌いは変わらないらしい。手にしていた本を放り投げて、昼寝をしようと背中の木に寄り掛かった時だった。遠くから甲高い悲鳴が聞こえてくる。左右を見渡して、それからくるりと背後を振り返る。ぴょんぴょん跳ねるおしゃれな白うさぎと、白うさぎのランチに選ばれたまんどらごら。追いかけっこをする彼らは、すぐ目の前まで迫っていた。)こっ、コラーーーッ! にんじんをいじめるなぁ〜〜〜〜!!!(飛び込んできたにんじんを木陰に座ったまま受け止めて、正面から突っ込んでくるうさぎに向かって説教をする。が、腕の中のそいつと同じようにぴょーんと大きく跳ねたうさぎは、少年の顔面を容赦なく蹴り飛ばし、空中に飛び出した。)〜〜〜っ、はなっ、鼻つぶれたっ! くそーっ、絶対ゆるさねえ! 待てー!(うさぎキックを食らった鼻を手のひらで抑えながら、勢いよくその場で立ち上がる。「行くぞ」と告げてから空に浮かぶ太陽みたいな色をしたいきものを頭に乗せて――夢の中ではたいして重みも感じないようだった――走り出す。入学祝いにお父さんに買ってもらったスニーカーなら、うさぎとのかけっこにだって負けっこない。そんな予感がしていた。)
2021/12/23 12:27 [23]
root
ルウト
2021/12/24 09:46 [33]
(その腕に収まるつもりの跳躍は、果たして目論見通りに受け止められた。夢の中でさえも、彼の傍が──贅沢を言うならばその腕の中が、最も落ち着く居場所であることに疑いがない。幼子が母の胸に額を擦りつけて甘えるが如く、飛び込んだ彼の未だ真新しい制服の胸元へぐりぐりと身を寄せる。にんじん、と断じられて覚えたごく仄かな違和感は、違和感と認識する前に霧散した。頭上で、顔面を足蹴にされたらしい彼の叫びが聞こえる。常よりもふわふわとした細かな葉が、ぴん、と震えた。彼が立ち上がる間の少しの浮遊感と、その後、両手で掴まることは出来ないから、「わーいっ」と明るい声をあげ、頭の上に両足投げ出して座るように陣取った。不安定なはずの体勢も、夢の中ならば常にも比べて、重力の影響など微塵もないようだった。うさぎに負けずに駆け出す彼の頭の上、全身で風を切る。)すごーい はしれ はしれっ(つい先ほどまで泣きわめいていたことも忘れたみたいに、安全地帯から葉の1本をびしっとうさぎに向けて、はしゃいで笑う。自分では出せないスピード感で流れていく景色が気持ちいい。彼が手を伸ばせばあと少しでうさぎに届くというところで、急にその背中が掻き消える。そのように、間近にいた彼には見えたかもしれない。いや、現実と違って夢の中では真実、突然うさぎはその場で消えたのだが。不意に地面にぽっかりと口を開けた、まあるい穴の中へと。穴はうさぎを追いかけていた彼の足元まで一瞬で広がり、)ひっ きゃああああああああ……(落下する感覚と、浮遊感に、それは本日二度目の混乱した悲鳴を叫んだ。落ちる、落ちる。──さて、どこへ?)
2021/12/24 09:46 [33]
kaname
2021/12/24 13:03 [35]
(まるで鼻先に人参をぶら下げられた馬のような気分だった。その"人参"が愛らしいうさぎに対する報復というのはいささか物騒な話ではあるし、実際に"にんじん"が居座っているのは鼻先ではなくつむじの上なのだけれど。追い風と頭上から降る激励に背中を押されて、少年は懸命に地面を蹴り続けた。「命令すんな!」なんて憎まれ口も、現実の世界のそれとは少し違っていて。「俺が隊長だ!」と拳を突き上げ、高らかに笑う声が響いただろう。ホップ・ステップ・ジャンプで飛び込んで、長い耳をわしづかみにしてやろう。唇の端を舐めて、ぽんと跳ねた右足が、黒い穴に呑まれる。)うっ、(恐怖のあまり悲鳴すら上げられず、水中で藻掻くように両足をばたつかせた。少年は知っている。高所から落ちた人間がどれだけの速さで地上に向かって落ちていくか。そして、地上に辿り着いた人間がどうなるか。見覚えなどあるはずもないのに、まるで真上から見ていたかのように知っている。針の穴ほどの大きさになった地上の光を眺めながら、同じ速度で落下しているまんどらごらに手を伸ばした。ぎゅ、と葉の根元を掴んで引き寄せる。先程そうしたように、両腕でしっかと抱き締めて、)大丈夫、お前は絶対に死なない。今度こそ、俺がお前を守ってや…………、……あ、あり……?(迫真の台詞を言い終える前に、落下速度が徐々に遅くなっていることに気が付いて目を瞬かせる。同時に、下から見える明かりや、壁のへこみに置いてあるアルコールランプの火で辺りの様子がうかがえることにも気が付いた。土壁にめり込むようにして図書館の本棚や、理科室の実験棚、世界地図や大きな分度器が存在しているとわかる。秒速にして50cmほどの非常に緩やかな速度で落ちていく先は、白い床のようだった。)気をつけろ、にんじん隊員。うさぎ野郎のアジトかも。(潜めた声で腕の中にいるいきものに語りかける。次の瞬間、突如として落下速度が穴に落ちた時と同じ速さまで戻り、少年は頭から地面に激突するのであった。ごちん、と音がして、即座にこぶし一個分のたんこぶが頭のてっぺんに生まれる。「いてて」と呻きながら起き上がると、そこには教卓と長い通路がひとつ。通路にはいくつもの引き戸があって、『図書室』『家庭科室』『一年二組』など、それぞれ扉の上にプレートがかかっていた。通路の先に何があるかも気になるが、ひとまずは陽気な相棒の安否確認を先に済ませることとしよう。)
2021/12/24 13:03 [35]
root
ルウト
2021/12/25 09:33 [44]
(混乱の悲鳴は、彼の手に引き寄せられてぴたりと止まった。彼の傍にいられれば、それで恐ろしいことなどなにもないと思ったからだ。しっかりと抱きしめられて、大切にされていると感じられることの幸福。彼の言葉が途切れてから、それは彼の腕の中で振り向くように身を捩った。ゆっくりと、落ちていく。エレベーターの窓から外を見下すよりもややゆっくりと。エレベーターなんて知識として知ってはいても、比すべき体験は、まんどらごらには、なかった。土壁に埋まったあれも、これも、先ほどまでの草原に比べればずっと、彼の真新しい学生服に似合いだ。にんじん隊員、と呼ばれたそれは、葉を嬉しげにさわさわと揺らす。)りょーかい たいちょー!(白い床が近付いてくる。と、認識した途端に速度が増した。彼の腕のなかならば、同じ落下として、少しも恐ろしくない。ごちん、と音がした瞬間に放り出されて、白い床をころころ転がる羽目になったとしても、「きゃああ」と上げた声はどこか楽しげな響きでさえあっただろう。)たいちょー だいじょうぶか たいちょー(彼のうめき声を聞けば、心配そうにそう尋ねた。うつ伏せのままじたばたしているから、未だ彼のたんこぶには気付いていないけれども。その後、しばらく起き上がろうともがいてみるものの、現実と同じ無情さがそれを襲う。ううう、と呻いてからぺったりと脱力し「ぼく だいじょうぶじゃないから たすけてえ」と情けなく救援を求めることになった筈だ。彼の手を借りてか、それともスパルタの方針を言い渡されて暫しの時間を苦闘してか、どちらにしても無事に起き上がれたならそれからようやく、周囲の状況を認識するに至る。)ろうか! とびら! たいちょー!(はしゃいだ声で、葉の1本をびしっとそれぞれの方向を指し示しては、きゃははと笑う。弾むようにからだを揺らしながら、隊長と仰ぐ彼を見上げて。)あける? すすむ? たいちょー!(楽しくてたまらないと言わんばかり、彼の周りをぐるぐると駆け回りながら指示を求めよう。)
2021/12/25 09:33 [44]
kaname
2021/12/25 22:15 [51]
(こちらを案ずる声に「あんまだいじょばない……」と涙声で答えたものの、いつものようにとてとて駆けてくる赤い足が見えないことに気が付けば、辺りを探るように視線を巡らせた。床に転がったまま、どうにか起き上がろうと足掻く隊員の姿を見つけるのに、それほど時間は掛からない。驚き交じりにコードネームを呼んで、膝歩きで傍まで駆け付ける。すっかり脱力してしまった部下のからだを抱き上げて、前後を確認するようにあちこちから眺めてから、そっと床に立たせた。恐らくこちらが正面のはずだ。)葉っぱのとこめっちゃ掴んだけど、怪我は……してないみたいだな。(いつの間にかたんこぶが引っ込んだ自分の頭をさすりつつ、ふんわりとした葉の根元を確かめる。特に問題が無いようだと知れば、安堵したように目元を綻ばせて。ろうか、とびら、と葉っぱが示すそれらに改めて視線をやった。膝立ちのまま眺める景色は、まんどらごらが知覚するそれよりは高いけれど、普段よりずっと低く――その分、ずらりと並ぶ扉たちが妙に大きく見えるのだった。)う、うん……よし、行くぞ! 俺は行くぞ! 総員、俺のあとに続けーーッ!(人間一名、まんどらごら一体による少数精鋭部隊の士気を鼓舞するように叫ぶと、一番手前の扉に手をかける。しかし、扉には鍵がかかっているようで、引けど叩けどびくともしなかった。その隣の扉も、正面の扉も、廊下に並ぶ扉すべてに鍵がかかっているようであったが、)あ!?これ、俺のクラスの時間割だ!ほら、水曜と金曜の三時間目が体育で、月火木は英語。(長い廊下の突き当たり。膝の高さに貼り付けられた時間割を発見して、その場にしゃがみ込む。上辺だけが画鋲で止められた紙の向こうには、廊下の扉をそのまま縮小したような小型の引き戸があり――どうやら、まんどらごら一体くらいなら問題なく通れるようだった。)……あける? すすむ? 隊員。(聞いたばかりの台詞を真似て、赤いボディを指でちょこちょこくすぐる。もちろん、探せば他にも出口や、扉の向こうに行くための手立てはあるやもしれないが。)
2021/12/25 22:15 [51]
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ルウト
2021/12/26 16:27 [56]
(引き寄せられた時と比べればずっと優しい手つきで助け起こしてもらって、それは機嫌よく葉を揺らす。ふとした瞬間に彼の目元が和らぐのがなによりも、嬉しく感じられるのだった。「だいじょぶ ありがとー」の感謝を重ねて、しっかりと両足で立つ。頭を擦る仕草に「たいちょーも いたいの とんでけ」と彼の周りを駆け回りながら、まじないの言葉を投げかけた。びしっと指した並ぶ扉めがけて、彼の勇ましい声が響く。ぐるぐる駆け回った後、えいえいおーと全身で伸びたり、縮んだりして気合いを入れる。彼の周りをちょこまかと走り回りながら、次々と閉じたままの扉へとアタックする彼を応援する。時には彼の引く戸に葉先を引っ掛けて一緒に引くような仕草をしてみたり、戸を叩くような仕草をしてみたり。)じかんわり! たいいくと えいごだ!(しゃがみこむ彼の隣で、貼り付けられた紙片を一緒に覗き込みながら、数度大きく頷きもした。楽しげにはしゃぐ声色は、しかし、彼の手がその紙を捲って引き戸を発見すると一気に狼狽えたように変わるだろう。その戸はどう見ても、彼にはくぐれそうになかったので。指先が肌をくすぐってくれるのは嬉しいのに、ぴんとしていた葉は、しょんぼりとからだに沿って下がっていく。)あけて もいいよ たいちょー でも すす すすむぅ……?(急速にしぼんでいくような語尾は、少しだけ疑問形に上がった。行かなくていいなら行きたくない、気の進まなさが前面に押し出された声音である。引き開けた戸は、鍵もかかっていないらしい。彼の周りをてちてちと歩き、伺うように彼を見上げてから、開いた隙間からちらちらと中を覗いてみても、外から見る限りでは、なんだかぼんやりとして中の様子は分からなかった。俯き気味の逡巡は、彼の前を3往復するほどのあいだ続いて。それから、ぴんと葉を伸ばした。)たいちょー ぼくはいくぞ! とつげきー!(ありったけの勇気をかき集めて、それは叫んだ。そのまま、開いた戸の中へと真っ直ぐに駆け込んで赤い後ろ姿が消え──30秒ほどの無音の後。不意に、一番近くの扉の鍵が、がちゃりと音をたてて開いた。)
2021/12/26 16:27 [56]
kaname
2021/12/27 17:11 [68]
(今の今まで小テストの勉強をしていたはずなのに、口から出るのは「なつかし」なんて矛盾した言葉。ふさふさ葉を揺らしながら頷くいきものを横目に、画鋲で留められた時間割を壁から剥がすと、扉の横幅と自分の体を比べるように指で測る。頭は通っても肩は通らない。足は通ってもおしりは通らない。それこそ、うさぎのために――或いは隣のいきもののために作られたような戸の向こうに進む選択は、彼との別れを意味していた。行かなくていいなら行かせたくない、ためらう感情は揺れる瞳に表れる。オレンジ色のまんどらごらが右へ左へ往復する間、少年もまた決断をすべく頭を悩ませていた。そうして、決めたと顔を上げた瞬間、自らを奮い立たせるようにぴんと伸びる葉が目に入った。)おい、待っ……!(待てと伸ばした手は空気を掴むだけだった。握りこんだ手のひらを呆然と見下ろして、それからハッとしたように地面に這いつくばって、扉を向こうを覗き込む。やはりぼんやりとした風景からは中の状態をうかがえず、いつもの足音もきゃらきゃらとした笑い声も聞こえない。いつもなら騒がしいくらいの声や足音に隠れてしまう静寂と孤独感に、胸の奥がざわめいた。握った手はいつの間にか震えていた。)俺を置いてかないで……、(掠れた声が零れた直後、背後から聞こえた音に跳ね上がるようにして上体を起き上がらせた。誰かいるのか?そう思っておそるおそる首を振り返らせるけれど、そこには誰も居ないようだった。警戒心をむき出しにした獣のようにまっすぐ前を睨みつけたまま、じりじりと来た道を引き返していく。やがて一番近くの扉に辿り着いたなら、中の様子を探るように耳を当てて――物音が聞こえていてもいなくても、スパン、と力任せに引き戸を引いた。友が振り絞った小さな勇気が、自分の中にもあると信じて。)かっ、かっ、…………かかってこいや〜〜! おらおらおらおら〜〜〜〜!(扉の向こうが危険だとは限らないけれど、用心するに越したことはない。両目をぎゅっと瞑ったまま、がむしゃらに両手を振り回す。途中、扉の縁に右手を強打したが、そんなことを言っている場合ではない。「わー!」「負けねえ!」「雑魚がよ〜!」ぎゃあぎゃあ叫びながら暴れる両手に手応えがないと感じたところで、ようやく片目を薄く開けて周囲を確認するに至っただろう。)
2021/12/27 17:11 [68]
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ルウト
2021/12/28 09:43 [77]
(現実には、彼の目覚めの気配の刹那から眠りに落ちるその瞬間まで、片時も彼の目の届く範囲から離れたがらぬのが真っ白なまんどらごらであったので、それが躊躇いながらも結果として単身駆け出していったのは正しく、此処が彼の夢の中であるという証左だろう。無人の廊下には彼以外の生き物の気配はなく、ただ、しんと静まり返っていた。鍵が開く音がした後には、再び静寂がその場を支配する。彼が耳を寄せた引き戸の向こうからも、音や声が届けられることもなかった。先生に注意されて仕方ないような乱暴な戸の開き方に飛んでくる声もなく、彼の張りあげる罵声以外のどんな響きもそこにはなかった。確かに、なかったのだが。薄目を開けた彼の目の前には、学校の教室とは程遠い景色が広がっていたことだろう。さほどの違和感もなく受け入れられるとすれば、此処が夢の中だからに違いない。それはかつての彼にとって馴染みのあった、食卓の景色であるはずだ。実家のダイニングテーブル、祖父母の家のこたつ、或いは家族で行った和食レストランの個室だったかもしれない。とにかく、彼の目の前にある“食事のための机”の上には、カセットコンロに鎮座した土鍋が載っている。そう認識すれば、くつくつと鍋が煮える音や、鍋から漂ってくる出汁の香りなども感じられるようになる筈だ。くつくつ、ぐつぐつ。土鍋には愛らしいうさぎの絵が描かれていて、カセットコンロの傍には、取り分け用らしき鍋と揃いの柄の小皿や箸なども一通り用意されているようだ。小皿の上には、英単語カードが1枚置かれている。印字されている文字は 『EAT ME』 ) たべてー たべてー たいちょー きゃははっ (カードの文字を目にするのと同時に、鍋の蓋の中から声がする。蓋のせいかくぐもってはいるが、彼にとって聞き慣れた声が。彼が土鍋の蓋を開けてくれたなら、或いは開けずにその場を離れようとすればぽーんと蓋が吹き飛ぶように開いて、中には輪切りになった大根サイズの人参が出汁のなかでくつくつと煮込まれている。)たいちょー ふえたー ふえた たっのしー!(深刻さなど欠片もない声がする。口などないが口々に、それのひとつひとつからはしゃいだ声がする。一切れが勝手に飛び出して言うことには、「いーとみー!」。それは次々と鍋から飛び出して彼へ飛びつこうとするだろう。そう、次々と──最初に鍋に入っていたよりも、もちろんその元になったはずのにんじん隊員の体積よりも、明らかに尋常でなく多い量がどんどんどんどん飛び出して、「たべてー」「たいちょー」「まんどらごらー」「おでんだよー」なんてそれぞれ勝手なことをのたまいながら、彼へと降り注ぎはじめるのだった。)
2021/12/28 09:43 [77]
kaname
2021/12/28 15:31 [79]
(薄く開けた片目に映る光景は、見慣れた自宅の居間だった。板の間の中央には長方形の座卓があって、壁際にテレビとゲーム機、コピー機などが並んでいる。なんだ俺んちか。不可思議な現象に疑問を抱くことなく、部屋の中に足を踏み入れる。「お母さーん」と奥のキッチンに声をかけるが、返事はない。代わりに、背後から聞こえた小さな物音に体ごと振り返ると、そこには隙間なく閉じたふすまがあるだけだった。やはり違和感を覚えることなく、目の前の座卓に歩み寄る。家の中は無人であるようなのに、カセットコンロには火がついている。危ないなと顔をしかめながらつまみに手を伸ばしたが、指先が掴んだのは一枚の単語カードだった。ぱちぱちと瞬きをして、その単語を読み上げようとしたが――)ンギャーーーッ! 鍋が! しゃべった!(飛び上がるように後退して、単語カードを投げ捨てる。祖父母の代から住んでいる実家のふすまは立て付けが悪く、焦った手元では開くことができない。自身の大声にかき消されて、たいちょうと呼ぶ声が見知ったそれだと気付くことはなかっただろう。そうして、立て付けの悪いふすまと格闘すること数十秒。びくともしないふすまに苛立って蹴りを食らわせようとしたところで、土鍋の蓋が座卓の上に落ちる音が響き渡る。)えっ、えっ……なになになに? えっ? てかお前どうしてそんなとこに……?(きゃっきゃと明るく笑う声に目を白黒させて、座卓から身を乗り出すようにして鍋の中を覗き込む。そこにはすっかりしみしみになった、かつての部下がいた。ショックのあまり言葉を失う少年であったが、無邪気に笑いながら飛び出してきたにんじんが顔面に張り付くと、悲鳴を上げて後ろ向きに倒れこんだ。あれだけ鍋の中は煮立っていたのに、火傷をするほどの熱さは感じない。食べてと願うにんじんに嫌だ嫌だと首を振って応戦するものの、抵抗虚しく、やめろと叫んだ口の中にひと際小ぶりなにんじんが転がり込んできた。)うっ、うぇ゛……っ、たす、たすけ……、(しおしおとしぼむのは声だけにあらず。口の中のそれを飲み込んだ少年の体は、瞬く間に小さく縮み、にんじんの山に埋もれていく。じたばた暴れる両腕は次第に土色に変わり、張り上げる声も甲高く耳に痛いものへと変化していく。ようやく積みあがったにんじんの隙間から転がり出ることに成功した少年は、濃い緑の葉を携え、全身が小さな木の根のような見た目をした――見ての通りのマンドラゴラに成り代わっていた。自分で確認することは叶わないが、どうやら裂け目のような形で目や口も存在しているらしい。細い両手を見下ろして、同じくひょろっとした両足で立ち上がると、)わーーーーーーー!!!(絶叫と共に、とにかくこの場から逃げようとふすまに体当たりを始めた。)
2021/12/28 15:31 [79]
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ルウト
2021/12/30 05:50 [98]
(鍋から少年へと輪切りのにんじんが降り注ぐさまは、当人の心情を除けば、シュールを通り越してコミカルでさえあっただろう。こんもりと小高く築かれたにんじんの山は、やはり一切れずつがきゃらきゃらと好き勝手に笑ったり喋ったり、つい先程までの静寂が嘘のようにざわめいている。そんな山から這い出してきた彼の姿を、彼として何の違和もなく受け入れたのは、きっと此処が彼の夢の中であるから。彼の少しひび割れた絶叫をきっかけに、にんじんの山が一瞬、しんと静まり返った後に、随分と控えめなささめきが広がった。輪切りのにんじんらに顔があれば、互いに顔を見合わせるような仕草として、山が小さく震える。)よしっ(すっくと立ち上がったのは、にんじんの山のてっぺんにいた一切れだった。そう、輪切りのにんじんの曲面に、いつしかにょきりと2本の足が生えている。その下に折り重なるにんじんにもそれぞれ、すべて。襖に繰り返し体当たりする彼を、助けねばならないという意思がそこに満ちている。彼がそうする理由など、考えることにさえ思い至らぬまま。)たいちょーのために けつろをひらくぞ! そういん あとにつづけー!(決死の命令を下すような調子ではあったが、そもそもの声色が気の抜けるような明るい響きである。指示を出したにんじんは、そのまま襖めがけて真っ直ぐに跳んだ。跳躍というより射出されたようなインパクトで彼の近くの襖にぶつかった瞬間、小さな破裂音とともに、それはきらきらとした火花だけを残して砕け散る。「つづけー」「わーい」「がんばる」「とつげきー」と相変わらずの自由さを楽しげに撒き散らしながら、次々と飛び出していくそれらはいつの間にか、足の生えた輪切りから、輪切りサイズの小さなにんじん隊員に変わっている。強大な敵として立ちはだかる襖へと、ぶつかっては爆ぜ、ぶつかっては爆ぜ、楽しげにきらめいては消えていく。襖の表面には僅かずつへこみができ、そこが次第に亀裂へと変わって、眩しい光が溢れだし始めていた。)
2021/12/30 05:50 [98]
kaname
2021/12/31 04:57 [104]
(困惑と絶望がない交ぜになった叫びは、存在していないはずの鼓膜をビリビリと揺らすような、そんな悲痛な音をしていた。自らの叫び声やふすまを叩く音に掻き消されて、にんじんたちのざわめきは耳まで届かなかったろう。小さな足で懸命に走って、ふすまの中央にタックルしては、ぽよんと弾き返される。細く短い両腕はふすまを破るほどの力は持っていないけれど、転んだからだを起き上がらせることは出来た。何度も転んで、そのたびに起き上がってはふすまに立ち向かう。茶色い肌の表面に生まれた二つの裂け目から、ほろりと樹液に似た何かが溢れそうになった頃。子どものごっこ遊びのような調子で放たれた突撃命令に振り返った少年だったものの背後で、パッと光の花が咲く。)に……にんじん隊員! ばかばかやめろ! 死んじゃうぞ!(小さなにんじんロケットがきゃっきゃと笑いながら飛び出して、色とりどりの花火となって消えていく。その幻想的な光景に言葉を失っていたが、慌てて両手を広げると、これ以上の犠牲を拒むようにふすまを背にして立ちふさがった。山になった彼らが居なくなったら、またひとりきりになってしまう。やめろと叫んだ声は、不愉快な金切り声に成り果てていたから、正しく伝わったか分からない。それに、正しく伝わっていたとしても、既に手遅れだったに違いない。背後から溢れる光の中に、マンドラゴラの不気味なシルエットが浮かび上がる。真っ白な光はやがて居間全体を包み込み――あまりの眩しさに瞑った目を開いた時、少年はいつものように保健室のベッドに横たわっていた。窓の外ではツクツクボウシが鳴いている。)…………大根、どこ……?(寝起きの目を擦りながら、少年はゆっくりと身を起こし、辺りを見渡す。いつもなら"今日こそ居なくなっていてくれ"と願ってやまないはずなのに、今朝はあの真っ白でもちもちとしたボディが妙に恋しい。それもこれも、おかしな夢のせいだ。そうに決まっている。)
2021/12/31 04:57 [104]
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ルウト
2022/1/2 11:17 [114]
(生きていなくちゃ、死ぬこともできない。それは確かに此処にいるが、生きてなどいなかった。幻だから。いのちを震わす絶叫は、いのちを持たぬそれらにもびりびりと響く。楽しいな、たのしいね。ぶつかるたびに弾けて散るひかりが、夢の現実の境を切り裂いていく眩しい光に飲み込まれて消えていき。──さわ、とそれは葉を震わせた。彼の意識の浮上とともに、鮮やかな緑の葉や、真っ白のからだを取り戻す。彼がそこにあれと願う通りに、今日も変わらず彼の傍にいる。そう、いつもの通り、ベッド脇の棚に広げてもらったタオルから、ぴょーんと彼の枕元へと飛び降りて、きょろきょろ周りを見回す仕草を見せた。)ざんねんながら だいこんは みあたらないねえ でも! まんどらごらなら ここだよ(困ったような声色は、途中で明るく変わった。だいこんがいなければ、まんどらごらでもいいでしょと言わんばかりの売り込みで、しれっと彼の膝の上を陣取ろうとするのも、朝から邪険にされてもめげぬ毎日と変わらないことだ。膝の上に上げてもらえる成功率は、寝起きの彼の機嫌に大きく左右されるだろうから、失敗したとしてもめげることはない。)おはよう いいてんきになりそうだね きょうも たのしくなりそう!(朝イチだって明るさにかげりなどなく、機嫌よく葉を揺らす。もしも白いからだをくすぐってもらえれば、きゃっきゃと全身で喜びをあらわしただろうけれど、もし邪魔とベッドに転がされたり、適当な場所に放り投げられたってくじけやしない。いつだって彼の傍を離れずに、楽しげに話し、うたう。それは、そうして今日を過ごすだろう。彼の傍にいられることが、それのしあわせであるから。──夢とは、睡眠中にもつ幻覚である、という解釈がある。ならば、目覚めてみるこの幻覚は、何と呼ぶべきなのだろう。それは彼の傍に寄り添って、ただ楽しげに笑うのだった。)
2022/1/2 11:17 [114]
kaname
2022/1/12 07:54 [121]
(常日頃から愛嬌とは無縁の少年だけれど、その寝起きの悪さは筆舌に尽くしがたい。朝の挨拶を無視するなんていうのはまだ良い方で、ふさふさの葉っぱを掴んであっちに行けと放り投げたり、彼のからだとほとんど変わらぬ大きさの枕で殴打したり――とにかく、怪獣のように暴れるところから一日が始まるのだ。故に、こうして心細げに視線を巡らせながらまんどらごらを探す光景は、ひどく珍しいものであったろう。棚の上から華麗に着地するいきものにほっと息を吐き出して、パジャマ代わりの体操服から伸びる足であぐらを掻く。いつも通りに恐れも躊躇いもなく膝の上ってくる彼。いつもとは違い、それを無言で受け入れる少年。夢の中で育んだものが、まだどこかに残っているような。そんな朝だった。)そーだな。ここんとこ夜は雨続きだったし、また夜に花火すっかぁ。図書室から借りてきた本は……なんか意味わかんなかったから、雨で出掛けらんない日にでも読むか。(机の上で開かれたままになっている文庫本は、世界的に有名な児童文学のひとつだ。おかしな風体のうさぎを追いかけて穴に落ちた少女が、ふしぎな世界を冒険する話。慣れない文体に唸りながら数ページだけ読んでみたものの「なんか絵がキモくて無理」なんて理由で読むのをやめてしまったので、それが今朝の夢と類似しているとは気付かずに。それにしても妙な夢だったなとひとりでに呟いた。)お前のベッドも作ってやんないとな。(小さなからだを小脇に抱えて、素足のまま部屋の中央へと向かう。開かれた文庫本を空いた片手で閉じ、隣に置かれた小さな箱をぽんと叩く。『IH対応 土鍋(一人用)』と表面に書かれたそれは、昨日、ホームセンターを物色している折に見つけたものだった。中に敷き詰める為のタオルもたっぷり持ち帰ってきている。顔を洗い、校舎裏のプランターに水をやったら、早速ベッド作りに取り掛かろう。――鍋の側面に描かれたうさぎに油性マジックでチョッキを書き足して「やべ〜」仕上がりになったのをおかしな夢のせいにするのは、少々苦しいだろうか。)〆
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