(A6版という他に決まった形を持たない僕は日毎に──持ち主の彼が目を離した隙に厚みも声色もガラッと変わったりするときもあるのだが、当面の間は日毎とする──人間で言うところの容貌が変わる体質で、それはちょっとやそっとのことでは覆されない。どうも彼の想像しうる《無限暇つぶし要員》が《本》であるところの《文字》なのは、雨水で溶けたうえに泥や粉塵でカピカピに縮れ草臥れた女性誌にさえ、草むらでエロ本を見つけた小学生男子のごとく目を輝かせたことからも容易に推察できたし、ほとんどホラーのごとき赤茶けた涙を流す民宿の看板や、いつ作られたかも定かじゃないチルド食品の成分表を嬉々として見つめる横顔からも、それは分かりすぎるくらいに分かった。成長することを諦めた地球上の、生物のなかで唯一加齢してゆく彼のサバイバル術ったら大したもので、初めて僕が彼に見染められたあの日から二年とちょっと経つが、洗濯の手際は鰻登りなのに身体の頑丈さなんかの話になるとウゲーとなったりする。要するに適性がイマイチなのだ。)よう、ともだち。調子はどうよ。念のため言っておくけど医学書にはなれないし、これは高熱がみせる幻覚でもないぜ。(僕は彼の瞬きのたんびに、視界の端から端をうろちょろしたり、時には真ん中でページを割り広げて顔にべったり張り付くといったちょっかいをかけてみる。というのは書籍に優しい彼が、万が一にも僕をはたき落とすような真似をしないことを知っての狼藉なのだが、もしかするともしかすることもあるかも……という微妙なドキドキの塩梅をこよなく楽しんだ。数日前──といっても正確に指折り数えたりしないので十数日の可能性も大いにあるのだが、無数の黒光りが堅牢に守り固めていた警察署と思しき廃墟から彼の腕に抱かれたまま出てきたとき、旅を共にする荷物にはいくつかの戦利品もとい食糧が仲間入りを果たしていた。)水も腐るっていうしなー。静がこうなっちまった原因は菓子かな? おいしくてつよくなるはどうにも怪しいもんだぜ。缶詰のグリーンカレー、あれもにおう。それか単純に気温の高低差にやられたかだな、ヤワだし。(三つ星ホテルを見つけられたら良かったのだが、鳳凰どころか蝶の羽すら持たない我々が探し当てられたのは、かろうじて雨風を凌げるだけのお粗末な廃墟だ。なるべく平らな面に、瓦礫を背凭れとして寄り掛かるか、身体を縮こめて横たわるくらいのスペースがやっとの。ぴちゃん、と朝露が薄くはった水溜りに落ちる音が、微かに聴こえた。)
2021/12/22 06:35 [5]
(相棒が元気に喋るたび、耳の奥がわんわんとハウリングする。着られるだけのものを着込んで瓦礫に背中を預けてからもう随分経った気がするが、実際はいいとこまだ2,3時間だと見当がついている。そう、今に始まったこっちゃない。健康を心がけようにも絶えず栄養は不足気味だし、すきま風の入り込まない寝床はないし、何よりそれらを抜本的に解決しようと頑張るには性根が不真面目だった。慢性的な不具合を見て見ぬふり、騙し騙し好きにほっつき歩いては、時折こうして電池切れのようにだめになる。)なん、だよおまえ…………元気なときより絡んでくるんじゃないよ…………(さすがに言わないが街灯に集まる蛾を思わすパタつきぶりに、掠れた声で不平を述べる。いかに小さかろうと体温計ほど無駄な荷物もないので測ったわけではないが、そこそこの熱があるのは明らかだった。こう鼻が詰まっては、べったりへばりつかれたところで紙とインクのにおいもしやしない。)心当たりがありすぎてどうもな…………でもあの茶色いグリーンカレー、また見つけたら俺はまた食うぜ。米がねぇのが惜しかった。みず…………(しょっちゅうからからに喉が乾く。ここに辿り着いてから幾度も手にした水筒をまた口にやるものの、ほとんど真っ逆さまに持つその角度から、いよいよ中身が枯れきったのは明らかだろう。どんな危ない橋を渡っても、そこらの水を飲むときに一旦沸かすのをサボるのだけはだめだと、旅の折々に学んだ分だけ新しい飲料水の調達が億劫。潤いを諦め項垂れる。)何にせよ寝りゃあ治る。時間さえ経てば治るんだ。……だからそんなに心配すんなよ。なあ睿。(今日はどうも少々口が悪めの気分らしい友だちが、それでもこの身を案じているのだろうとはいっそ無垢に信じている。)
2021/12/23 00:46 [17]
ゾッキ
2021/12/23 11:11 [22]
(彼が体調を崩したりせき込んだりなんかするたびに僕は「だらしねー」とか「病は気からだぞー」とかだから「気合で治せー」とかやんややんや騒ぎ立てるのだが、この病は気からって言葉はなんと中国最古の医学書《黄帝内経素問》に由来するらしく、それを知った僕はヤベーもしかして医学書にもなれるんじゃねとドキドキするが、コウテイダイケイソモンってコウテイペンギンの仲間ですか?とか考えてしまううちは多分無理なのだ。というかそんな理系かぶれみたいなやつにはなりたくない。シュパパサーンとおおよそ真ん中で割り開いて顔の上に跨ったものの新本特有のノリっぽさから大股開きには程遠かったらしくて、数秒もしないうちに彼の鼻先をサワーっと撫でて僕は地面にぽてんと落っこちてしまう。)元気って総量が決まってるのかもな。静の使い切れてない有り余った元気が僕にまわってきてるんじゃないかな。体調治したら返してやるからまあ安心しとけって。な。その代わり僕が寝込んでるときには元気よく音読してくれよ。(彼という灯りに吸い寄せられた蛾もとい僕は諦めが悪くてもう一度シュパパサーン試みるけれどやっぱりサワーして終わる。だけどサワーの途中で感じたぬくもりの昨日とは違うことからも、彼がどんなに高熱を発しているか僕はなんとなく察するのだった。なんとかしてやりたい気持ちはあるのだが《本》はどこまでいっても《本》以外の何ものでもないし、まかり間違って《黄帝内経素問》になれたとしても、今彼を救えるのは医学書じゃないのだ。今彼を救えるのは氷嚢や解熱剤、それに煮沸消毒された綺麗な水なのだ。)普通のカレーみたいな見た目だったけど、ココナツの味はちゃんとしたか? 『ロビンソン漂流記』じゃ無人島に漂着した主人公が麦や米を栽培して28年も生き延びるんだぜ。豊かな土壌を見つけたらやってみよう……。(けれどそんな豊かな土地があるものだろうか……という気持ちを誤魔化して昇華するために、彼の顔の横っちょで僕はレインボースプリングみたいに右から左へ左から右へページ移動を行うのだが、そうするとページの捲れるシュワワワンシュワワワワンとちょっと無視できない音が鳴って幻覚のそよ風が彼の頬を撫でる。)時間なら無限にあるものな。憎まれっ子世に憚るとかいうし……死刑囚になるくらい憎まれてたんだもんな……。(だとかなんとか軽口を叩きつつ、それでもやっぱり心配が勝ってしまうことを彼に見抜かれているっぽいことに僕は赤面する。もとい背表紙がピンク色になる。)
2021/12/23 11:11 [22]
返してくれたら治してやるよの順番じゃなくってか…………(どうにも頭がぼうっとして、眠ってるんだか起きてるんだかのうなされ声になる。脳みそもすっかり茹だってしまってあてになったもんじゃないが、本というのは具合が悪くてもページを捲られたいものらしいというのは覚えておこう。あるいは人のすべてが病気のときにあれこれ構われたがりはしないように、それもまた睿という名の本固有の特性だったかもしれないけれど。)どうだったかな……しばらく食わねぇとあれの味はこうって忘れるんだよ。蟹の身を食わされて「これは海老だよ」って言われたら、今なら信じる自信があるね。ただいつもと違う味はした。いつもと違う味ってのはいいもんだ。(海鮮なんて刑務所でもまず出なかったから、最後に食べたのは一体何年前か。今となってはこの身の自由を得てすぐに、腐りやすそうなものはなんでも食べてしまうべきだったと後悔するがあとの祭りだ。言葉の合間にんん、と低く唸る。)……ああ、ロビンソンが泣いてひれ伏す領土が俺たちのもんだ。おまえの中には「無人星」って章を作ろうぜ。……っくしゅ、(残念ながら今のところ見渡す限り不毛の地ではあるけれど、広さだけならマス・ア・ティエラ島など目ではない。偉そうに名前をくれてやってからというもの、折に触れかれをどんな物語にするかという話をしている。口だけ出して自分は書かないインターネット上の読者様よろしく。紙面をふんだんに使ったいたずらなみじろぎにくすぐられくしゃみを一つ、ぶるりと身体を震わせて。)いくら文系でも無限は言いすぎじゃねえか?こんな調子であと何年生きるもんだかね。……おまえ、死ぬのは怖いのか?(熱持つ頬よりあからさまな赤面を笑う。時にまあまあ危なっかしい冗談だか何だかを放ってくれる友に、おまえ俺以外の死刑囚にそれ言ったら真ん中から縦裂きにされるか便所に沈められてるぞと軽口叩き返したこともあるが、今日はそれはしなかった。ぱらぱらの邪魔をするように親指をページの間に挟み込み、残りの4本で背中を抱く。ちょうど割り開いたそこには何が書いてあるだろう。)
2021/12/24 12:48 [34]
ゾッキ
2021/12/25 13:24 [47]
(あーそういう順番もあるのかーと彼に言われてから僕は「むふう」と唸るが、それよりもその声の弱弱しさというか煮崩れっぽさみたいなものに僕の心臓はドキドキハラハラしっぱなしになる。《本》の心臓がどこにあたるのかはしらないけど、これが失われたら死んでしまうっていう《核》みたいなものだとしたら、それは物語で言えば起承転結の《転》なんじゃないだろうか。《核》=《転》……いいぞいいぞそんな感じがする。それじゃあ僕の《核》=《転》はどこにあるんだろうと考えるが決まった容貌を持たない僕にそもそも《核》=《転》は存在するのだろうかが分からない。今現在に絞った話なら間違いなく183ページからの意味段落だけれども、僕は文字通り《転》が転じてしまう体質なのだ。で、それって生きていると言えるのか?命宿ってないんじゃないか?でも命を吹き込むことに等しい名前を貰ったのだから、少なくとも生命活動はあるんじゃないか?てことは生きているのか?と次々に浮かんでくる疑問が堂々巡り。彼みたいに食事のひとつでも出来たら実感が湧くに違いないけど、《本》に食事は必要ないのだ。)人生の楽しみがひとつ増えたなあ。風土が違えば味も違ってくるだろ、この国はでかいから端から端までいけば外国みたいなもんだけどさ、国境を超えたらもっと違った味が見つかるかもしれないな。『無人星』が盛り上がるかどうかはこの旅にかかってるわけだ。(見たことのない食べ物をみつけたら海老だよと教えてやろう。しめしめと僕はほくそ笑む。彼を救う煮沸消毒された綺麗な水さえ脅威になり得るものだから、空っぽのスキットルにカバー袖を伸ばすことが出来ずにいる。もっと頑張れよー頑張って水汲んで来いよーと自分を奮い立たせるが、いっけねそもそも無理なんだったっていうチェッみたいな気持ちがシュワワワンシュワワワワンの中にもちょっとだけ含まれていて、それに気付いた途端つま先で石ころを蹴り飛ばす音みたいに聞こえ始めたので、彼のくしゃみを最後にぴたんと停止。)おいおい、長生きしてくれよともだち。《本》に死ぬみたいな概念はないけどさ、読んで貰えないことにはなあ……あれ、それが死ぬってことなのかな?(それでまた彼のように瓦礫かき分けて見つけてくれる人間に出会ったら生き返るんだろうか。小説としてならそれこそ『ロビンソン漂流記』の書かれた18世紀、文字だけなら紀元前3200年頃から生きていることになるが、もしかしてその歴史に終止符を打つお鉢が回ってきているのだろうか。べろんと開かれたのは江戸川乱歩名作選、まさしく《転》 の183ページ。人でなしの恋の八、あの人形が僕のような《本》なら、破かれて死ぬこともなかったのだろうなあと思うのだ。)
2021/12/25 13:24 [47]
外国か……実のところ今国境に向かって歩いてんのか海に向かって歩いてんのかもわかってねえんだよな。(死刑囚の情報弱者ぶりときたら深刻で、自分がどこに収監されているかもわかっていない始末だったからそもそも冒険のスタート地点がわからない。旅の途中で食堂だったもののメニューを拾い読み、これはあっちの地方の料理っぽいなとか探偵の真似事で遊んだりはするけれどもだ。どこへ向かおうとしているのかをそこまで重要視していなかったせいもあり、適当極まる旅である。物語にするなら目的意識が明確なほうがドラマが生まれやすそうなものだが。)過剰な弱音も吐きたかねえけど長生きできる要素がねえよ。……いやあったわ、「他人に殺されない」。(ははと笑う声の力なさはひとえに体調に起因している。)読んでもらえないのが本の死か。……そうかな?俺はそうは思わねえけど……おまえに関しちゃそうかもな。どうだろう。悪いね。(かれというものがありながら、荷物の底には行く先々で拾った本物の本たちが数冊大事にしまい込まれている。いくら貴重と言えどさすがに見つけた端から持ち歩いては肩やら腰やら壊れてしまうので、新入りと古参とを比べて無念の取捨択一を行うときにだけ、あたかも長年の恋情を断ち切るような切ない表情を見せるのがこの男だ。この友だちがもしあれら、真実紙束であるところの本ならば、人ごときの目が失われたところで心配することはないのだけれど。)……人でなしの恋、この世のほかの恋でございます。その様な恋をするものは、一方では、生きた人間では味わうことの出来ない、悪夢の様な、或は又お伽噺の様な、不思議な歓楽に魂をしびらせながら、しかし又一方では、絶え間なき罪の苛責に責められて、どうかしてその地獄を逃れたいと、あせりもがくのでございます。(熱に浮かされる視界。文字が絶えず大きくなったり小さくなったり、ぼやけたり霞んだりするようで酔っぱらいそうになりながら。焦点を合わせようと人相悪く目を細め、ゆっくり本文を読み上げる。今にも死にそうに細い声で読むのが妙にしっくりくる物語だ。感情移入して読むような本でもないと思っていたが、こうして当たるとどうも身に沁みる。)寒いな…………壊されて怒るなら恋なぞしていなかったしるしってのはどういうんだろう。………………寒い。(読書に耽って気を紛らわそうにも強い悪寒に紫の唇で毒づきながら、往生際悪くぶつぶつ解釈を問う。)
2021/12/26 20:23 [60]
ゾッキ
2021/12/27 11:56 [66]
そんならいずれ海に辿り着けば、あとは海沿いを進むだけで各国旅できるぜ。くたばっちまう前に何カ国制覇できるだろうなあ……3カ国はいけるかな? 世界遺産、見てみたかったけど遺ってないだろうなあ、もう。(この世界がまだ世界として機能していたころの世界地図をぼんやり思い浮かべてみる。この旅がどこから始まっていて東西南北のどちらに進んでいるかによっては一カ国で終わってしまうことに愕然とする。かくなる上は国境線上で反復横跳び……と閃くが彼はそんなキャラじゃないだろう。反省。こんな状況じゃあの美しき白鳥の湖と女子修道院も、赤の広場も、あるいはアクロポリスは言わずもがな、タージ・マハルのシンメトリーだって今や見る影もないに違いないのだと思うと、なんだか途端にしんみりとした気分になってしまって、これじゃ元気付けにはならないなと僕は再び反省する。反省のしるしとして彼の自虐的で諧謔的な台詞にハハッと大きめに笑ってみたが、そしてこれは場を明るくさせようという僕の思いやりだったが、お国柄も相まって胡散臭い、プルートォの飼い主のようになってしまった……。)仕方ないよなー、僕はそういう《本》だし。でも悪いと思うなら今のうちに擦り切れるほど読んどけよ。(事実擦り切れることのない《本》である。だけど彼の考え方ひとつによっては、擦り切れないとも言い切れない《本》なのだ。彼が僕ではない実体を有したそれらを手に取るとき、「右」とか「それは睡眠導入剤だな」とか「セクシーなのキュートなの」とか口を挟むこともあるが、基本的に僕はそっと彼の視界から消える。それが僕の意思なのか、彼の意識なのかはわからない。ただ消える。消えて、消えている間、読みたきゃいつだっておんなじものを読ませてやるのになーと思うが、彼の求めているものはたぶんそういうのじゃないんだろうなとは漠然と理解していて、思うだけで言わない。)壊したかったんだろ。ほんとはさ。でも好いた女を自分の手でってのはなー……。それか本物の恋なら怒りより哀しみが勝るべきとか? 怒って昇華できる程度の想いなら……うーんこれじゃ芸がないかな。(うん。僕に出来る解釈はここまでだ。ぺらりと次のページに進めば丁度真ん中あたり、ひも状の栞がぷらんと彼の顔にかかる。で、その唇が青いことにビクッとする。青すぎる。「って、おーい死ぬなギリギリ生きろ──!」心配になった僕は今度はこの栞で唇をサワーっと撫でながら、そういえば青ざめた医師にルージュを塗る小説もあったなあと思い出すが、それどころじゃない。寿命の近いレギュレーターストーブ?くたくたのブルゾン?彼を暖められるのはどっちだろう?)
2021/12/27 11:56 [66]
(読んでも読んでも擦り切れやしないくせにと不粋なことを言うのは、仕返しのつもりもないがブラックジョークである。無論それはかれの美点だ。読んでも読んでも擦り切れないし、たとえば甜麺醤のシミをつけても、うっかり水に沈めてしまっても綺麗に戻ってこられるんだろう。よくよく気をつけているから今のところ前科はないが、こんなに心強いことはない。しかし何でか天地のマーキングは消えないんだよなと頭の赤線を人差し指の腹でさする。自分の深層心理の何がこうしたのかを考えるとき、いかにも陳腐な説明付けしかできずにうんざりする。つまり己に瑕疵を認めているためだとかそういう。)なるほどね。ひとの考えを聞くのはやっぱりいいや。(この場合他人の考えなんだか何なんだか、という点はひとまず置いておく。たとえどこかに眠っているのだとしても、自分が即思いつかないことを自分とは違う声で教えてくれるだけでじゅうぶんだった。)知ってる定型に当てはめてしか物語の意味を考えられないとき、俺に本を読む資格があるだろうかと思う。物語に意味を求めること自体が馬鹿げてるとも、同じくらいに。そこにあるだけでいいんだ、本は。……睿、ひとは本を読むために本を読むのかな、本を読んで何かを考えるために読むのかな。おまえは難解なのとやさしいのとどっちが好み?(ほとんど夢にうなされながらの寝言じみたそれはいっそ普段より饒舌だ。柔らかな栞が唇を撫でて、笑ったつもりだったが強張ってそうは見えなかったろう、奥歯を小刻みにカチカチ鳴らしながら「死なねぇよ……」と死にそうな声で言い張る。)………人間具合がおかしくなると大げさなもんで、一番悪いときにゃ毎度今度こそお陀仏かとあほらしい覚悟きめたりもするけどな。一番悪くなってきたら後は下り坂だ。いつのまにか嘘みたいに昏々と眠って、アメーバだか宇宙創造だかの長い長い夢を見て、起きたらけろっとしてるもんさ。だいたいそう。(幻の友だちなのに、不思議と目を閉じてもそこにいるのがわかる。)もうひとつあったな……長生きの薬。死ぬなとうるせぇやつがいる。(80億の世界にひとりもいなかったものが、何でか全部が失われた後で。)
2021/12/28 10:04 [78]
ゾッキ
2021/12/29 05:07 [88]
(僕は《本》だけど俗に言われるところの《本》じゃない。どれだけ無下に扱おうと、無体を働こうと、必要とされるうちは何度だって彼の前に現れることができる、とっておきの《本》なのだ。だけど、そんなだから適当にされるのかって、それは違う。彼は僕のことも正真正銘の《本》と同等か、それ以上の扱いをしてくれるし、たぶんそんな彼だから僕を見つけることができたのだ。瓦礫を掻き分けた手でカバーの汚れを払い、僕を持ち上げることができたのだ。それから先の僕はといえば、常にぴかぴかの新品同様だった。意図的につけられた瑕疵を除けば、乱丁だってありえない。彼が指を挟み込むたびにあたらしい紙とインクの香りを届けた。時には彼の目覚めに合わせて《静かな雨》、《オリエント急行の殺人》、《ハックルベリー・フィンの冒険》、《よだかの星》、《うつせみ》、と瞬きのタイミングでタイトルを変えるお茶目さを披露したこともあっただろう。五回点滅。静オハようのサイン。)やだねー、これだから文系は。深読みしてなんにでも意味を持たせようとするんだもんな。資格とか考察とかじゃねーの、手に取ったら読むのが僕たちへの礼儀ってもんだぜ。難解なのとやさしいのとなら読んで貰えるほうが好きだなあ。(解釈講釈を垂れるのに苦手意識を持たないのは、僕が《本》だからなのか?それとも本当は僕の意思とは関係なく用意されたものだからなのか?いつもよりうんと青くて饒舌な彼の唇を見下ろしながら僕は考える。でも予想通り答えは出なくて、だからちょっと前の疑問に戻って、レギュレーターストーブとブルゾンの二択をもう一度考えるのだが、そこに三つ目の選択肢が放り込まれて、僕は思わずフフへフヘヘと笑ってしまう。こんなにも彼がくたばっているのに危機感の欠片も感じられない能天気な笑い声だった。)そりゃいいな。大事にしたほうがいい。おやすみ前の読み聞かせまでしてくれる薬なんて滅多にお目にかかれるもんじゃないぞ。(自慢のクリームキンマリが心なしか吸い付くように、彼の親指に寄り添って感じる。落ちてゆく瞼めがけて気の抜けた笑いを転がした僕は、ふと「静ちゃんはー」「死ぬのは怖い?」「死後の世界ってあんのかな?」と問いかけてみる。)
2021/12/29 05:07 [88]
(遊び心を発揮したくなった夜には、かれ自身今自分が何者になっているのかわからなくなるくらい目にも止まらぬ速度で違う本になり変わってもらい、ストップの一言でルーレットのように読む本を選んだりもした。下手な人間よりお喋りな声を持っているくせに、突然本棚の縦読みならぬ横読みを仕掛けてくる相棒に感化されたのかもしれない。寝起きのフラッシュクイズは難易度が高かった。なんにも気づかず朝っぱらからどうした落ち着けと嗜めて、三日後くらいにふと脈絡もなく「静おはよう?」と天啓を口にしたのも思い出話。)そんなら俺は優良な読者だ。学生のころから借金と積読だけはしない主義だった。(本を拾うことがイコールその日はそこで寝泊まりに繋がるくらいには、かれの言う礼儀を弁えた読み手である。友の変身がずいぶん自由自在なのを知るまでは、読み終えるまでに他の本になってしまったらどうしようかと無駄な夜更かしもしたものだ。)まったくだ。おまえに口があったら牛のステーキでもアワビでも何でも食わしてやりたかったよ。人に読まれる以外の幸せは何?おまえときたら並の本じゃねぇんだから、もうちょっと欲張れるだろう。(少しばかり生意気のきらいはあっても、腹も減らさない疲れたと文句も言わない眠らなくたっていい友だなんて聞き分けが良すぎるというものだ。甘やかしてやろうにも方法がわからない。いつまでも触っていたいものというのは人それぞれあって、世の中にはバスタオルの端っこの分厚いところの触感が一番好きという人間もいたし、洗濯ラベルのポリエステルサテンこそ至高という人間もいたが、自分にとってはこの滑らかな紙質のページこそがそれだった。目を閉じてからもすりすりと緩やかに撫で続ける。さながらライナスの毛布のようだ。)…………そんなに怖くないと思ってる、普段は。浅はかなもんで、こうやってちょっとばかし近いところに来ると人並みに心細くなったりするよ。死後の世界でみんな待ってるんだとしたら行きたくねえなあ。そんならぷっつり終わりのほうがうんといい。…………いや。(不具合のピークが近づいて、もうすぐ眠りに落ちられそうだった。ぷつぷつと世迷言をのたまって、孤独の安らかさとはかりにかけるのは)でもまだ読みてえ本があるんだよなあ……。
2021/12/30 18:48 [101]
ゾッキ
2021/12/31 17:51 [106]
(三日後になって答え合わせをされた時には流石に僕もなんのことだかさっぱり忘れていて、えっなになにどうしたのーもうおはようって時間じゃないよーていうか誰に言ってんの?怖、って気持ちをぎゅぎゅっと押し込んで「うん〜」と和やかな受け答えをしたのだったが、やっぱりこれも数日経ってから突然ハッとして叫び声をあげる。僕としたことが……と気持ちがちょっと項垂れる。だがそんなことでは僕の、そしておそらくは彼の、遊び心はへこたれなかった。ルーレットと言いながら、必ず最後に同じタイトルになる嫌がらせは生き生きとしたものだ。たしかあれは《不思議の国のアリス》だったかな。)優良読者に拾われて僕は幸せ者だなあ。あいや幸せ本か? 出逢った頃の静、思い出すだけで笑えるぜ。ぶふふふ。(よっぽど活字に飢えているんだなあこんな世界だものなあと大人しくしていた期間は長かった。ついに僕が暇になって、彼のページをめくるたびにあっちの物語へこっちの物語へと行き来してみせたあたりで、やっと認識の齟齬が発覚したのだ。)おおぉ……よだれが出てきちゃいそうだ。ラーメンが食べてみたいなあ、うっかり汁が飛ぶといけないからってふつうは近付けないものだ。読まれる以外の幸せなんて考えたことなかったけど……お、そうだ、枕になってみたい。(枕の下に何かものを入れておくと夢に見れるらしいが、入れておくのが枕そのものならきっともっとはっきりとした夢に違いないのだ。そうやって聞くということは叶えてくれるということなのだろう、さあどうぞ叶えてくださいと言わんばかりに僕は身を捩って、ページを右上からぺろんと垂らし、親指の第一関節を紙の角でこすろうとするのだがうまく届かなくて、右下からべろんと持ち上げる方向にシフトチェンジ。撫でられるのも好きだがこうして撫でることも好きなのだ僕は。)ふーん……ひとりぽっちになっても生きたいもんかね。そんなに読みたい本ならいくらだって読ませてやるよ。静オハようの後でな。(大多数の人間はこんな世界で近づく死には救いを感じたりしそうなものだ。というのは僕の勝手なイメージだし、分母が1になってしまった世界で大多数を語るなんて変な感じで笑ってしまう。一秒後にも意識を手放しそうな彼の頭の下に滑り込めていたら、とびっきり優しい夢が見られるように、とびっきり優しい《本》になろうと思う。《図書館戦争》とか《華氏451度》のほうが《本》を感じて貰えそうなものだけれど、そういうんじゃなく《西の魔女が死んだ》みたいな、とびっきりの優しい《本》に。)〆
2021/12/31 17:51 [106]
(宇宙ステーションとの通信でもこうはなるまいというタイムラグは小粋な会話には程遠く、しかしそのテンポ感でも破綻しない関係性しかこの世に存在しないというのもシンプルで悪くはなかった。そう言えば滅亡の瞬間を宇宙で迎えた飛行士たちはどうしているのだろうか。家族に会うため決死の思いで帰ってきたのか、それも地上との通信なしでは難しいか。どこぞの映画みたいに火星で自給自足でもあるまいが。)者は者でいいんじゃねえの。……人間限定なんだったか? また迷宮入りだ。(文庫版の辞書というのも存在しているにはしているが、さすがに所有者の知識レベルが反映されていそうで当てにしにくい。どいつもこいつも劣化版『悪魔の辞典』と化しているのではなかろうか。者≠フ定義付けを諦めて、「教えてくれりゃあよかったんだよ」と掠れた声で恨めしがるのは、文字通り齧りつくように根を詰めて与えられた物語を読み明かした連夜の誤解について。今だって誰に何に急かされずともたまには勝手に読書のための徹夜を決め込む男が言えた義理ではなかった。)ハックルベリー・フィンより勇敢な本だね、おまえは。大丈夫ってわかっててもラーメンに近づけんのはぞくぞくするぜ。……ええ。…………えー……最後に頭洗ったのがいつだったかは考えねえようにするよ。朝まで息止めてろな。(冷たく乾燥した空気のおかげで自分から生ゴミのにおいがしてくるのにはずいぶん時間がかかるが、髪はややぺとついていると認めざるを得ない。このところ天然の水風呂を利用する気力体力に欠けていたのもあって余計に。ごしごし洗ってやらずともいつだってこざっぱりとした紙束の奮闘に慰められて、偉そうにおまえの幸せを叶えてやろうぶったものだからその望みをむげにもできず、せめてもかれとの間にぼろ布一枚挟んで頭を置くのを落としどころとしよう。最後の力を振り絞って元はランチョンマットか何かだったものを引っ張りだす執念。)誰も彼もいる世界よりかはずっと息がしやすい…………(言ったそばからがさつく喉でごほごほ咽せた。ほんのり鉄の味の痰が絡むが、咳のしすぎで少し切れただけだと知っている。大丈夫、きっと明日か明後日には、動き出せないまでも寝床で文章を追えるくらいには回復しているだろう。そうなればこっちのもの。うん、そうだな。ありがとう。小さくあぶくを吐くような覚束なさで肝心の礼を言えたのは、果たしてうつつか夢の中。いずれにしても届くだろう。自分の夢なら彼のも同じ。)〆
2022/1/13 13:06 [122]