(亡羊のデマゴーグ。)
jin
2022/1/1 12:49 [5]
(人生山あり谷ありとはよく言ったものだ。最低よりかは少しマシな寝床で、一滴ずつしたたる水をバケツに溜めるようにみみっちい体力回復を図り、ようやっと再開できた旅はここ半月ほど順風満帆だ。少し前に通過していた地帯と比べ破壊の程度が控えめであり、割れていない酒瓶や少し傷ついただけの缶詰にいくらでもお目にかかれた。いくらでもというのはあくまで一人で消費するならという前提に基づいているが、今さら補足するほどのことでもないだろう。とりわけ逞しく実をつけていた柑橘類は慢性的なビタミン不足の身体に大いに沁みた。口内炎だらけの口にも沁みたがそれすら有難いような気がしたものだ。)寝込むより先に見つけてりゃなあ。(と、どこか弾む声で嘆く今日の収穫こそ極めつけ。相棒片手に探索する建物が、病院の跡地であることは目にも明らかだった。元はおそらく森林公園だったものに隣接し、一度は薙ぎ倒された草木が歪み曲がり、灰を浴びながらも健気に息を吹き返しつつある中に佇んでいる。基準に当てはめるならやはり全壊にはあたるのだろうが、探せば清潔な包帯があり、タオルがあり、名も知らぬ薬さえわんさか見つかる。)なあ、解熱鎮痛剤って何色のイメージだ?個人的には水色なんだが。そうかさばるもんでもねぇし、一通り持っていくのがいいのかな……。下剤だったら困るけど。(調剤室と思しき二階の一角。見知った市販薬と違って、名前を見れどちっともその効用がわからない錠剤たちを引っ張り出しては見比べる。建物の窓ガラスは粗方吹き飛んでいるが、窓もないこの部屋は物盗りが立てるガサゴソ音以外しんと静まりかえっていた。)
2022/1/1 12:49 [5]
zokki
ゾッキ
2022/1/2 01:00 [15]
(眠ってもいないのに、目覚めというのはすこし変な気がする。だけど事実わたしは彼の脳波にあわせて呼吸をしていて、おなじ息遣いで言葉を重ねている。彼が眠れば程なくしてわたしの存在は掻き消えるが、彼が目覚めれば、あたかもずっとそこにいたかのように振る舞う。過日『西の魔女が死んだ』だったわたしは、死んだように昏々と眠り続けた彼の目覚めと共に、『こころ』になっていた。旅のあては『無人星』をいかに盛り上げるかだったり、飲み水の確保や寝床の重要性であったり、推理小説の犯人当てクイズだったりして、瓦礫を踏み抜いたり干からびた小川を跨いだりするごとに、すこしずつ、微量ながらけれど確実に、空気が軽くなっていることを感じていた。)わはっ。これでたくさんこわせるね静〜。癒しはあおかなー。みどりかなー。んっとね、たしかね、解熱鎮痛剤はなんとかぷろふぇん……医療小説みてしらべるう? この手のはなしって、なんでミステリが多いんだろうねー?(医学書にはなれないわたしでもこの手の本になることはできたので、医者や看護師の出てくる話を探して、さながらいつぞやのルーレットを彷彿とさせる勢いで姿を入れ替えた。ストップの声を乞うこと無く、ぴたん、と自ら停止させたのは『少女地獄』で、これにはモルフィンが出てくる以外は大した情報がなくて、あわてて「まちがえたっ」と揺れる。わははと笑いながら、間違いだったかもしれない、と確かに思う。けれどこのとき、わたしのあるはずもない目には、皮膚には、耳には、確かに、「外……」)……くらかったねー。今なんじかな? 今日はここに泊まるのー?(外に、生き物の気配を感じていた。鼠とか蛙とかそんなんじゃない、二本足で立って歩く人間の気配を。旧森林公園を抜ける足音。細い呼吸音。少女というには、すこし、大人びている。けれど女性というには、すこし、華奢に思えた。わたしは医療小説を投げ捨てて、ずっしり1400ページの厚みを誇る『絡新婦の理』へと姿を転じる。これ以上の厚みをしらなかった。もしかしたらほんの少し、もう少し、ここに足止めをしてやりたいなんて思ったのかもしれない。)
2022/1/2 01:00 [15]
jin
2022/1/2 16:30 [21]
その言い方は破壊神。ああ、頼んだ、鵜呑みにする前にカバー袖の著者略歴と奥付の監修確認な。文学部卒が一人で書いたファンタジー医療小説はマズい。(ただ読む分には面白ければそれで良しとする方だから、かれのデータベースになんちゃってお医者さんものが記憶されていてもなんらおかしくはなかった。人生の参考文献にするならある程度話は別だ。相棒がそれらしい本を呼び出そうとしてくれている間、なんとかぷろふぇん、なんとかぷろふぇんとひとりごちつつ、これでもないあれでもないと錠剤のシートを物色し続ける。)外?ああ……言ってもまだ夕方にもならないくらいじゃねえか。そうだな、どうするか……昨日見つけた地図の感じだと、ずいぶんご立派な老人ホームが近くにあるはずなんだよ。ひょっとするとそっちのが寝心地はいいかも……と思ったけど。(薄暗いのはいつものことで、はて今日のは今さら言うほどだったろうかと首を傾げる。この院内にも砂埃を被った入院用のベッドは確認済みで、それだって泣いて有り難がって然るべきもののはずだったが、それほど労せずもう少し欲をかけそうな見込みがあった。が。不意にずしりと重みを増した手元を見下ろす。片手では捌けそうにない、遠目にシルエットを捉えたなら箱と勘違いしそうな見た目。)病院のシーンがあるんだっけ?そもそも読んだ覚えがねえな……ふは。1日500ページで3日弱か。(それこそ興味本位で一番分厚い文庫本を調べるか何かしたときに行き当たったのだろう、手をつけた記憶のない書名。どこか心躍る面持ちでページ数を確かめ、そのまま吐息で笑った。移動してから読んだって大した差にはなるまいが、この世には今読みたい本を今読むという快楽がある。手の潤いを増補するため、効能もわからない軟膏のチューブを手に取って、部屋の隅っこへどっかり座り込む。隙間風が遠いというだけで抜群に集中できそうだった。)
2022/1/2 16:30 [21]
zokki
ゾッキ
2022/1/3 09:55 [32]
(指先を天井に向けてぴんと伸ばすようなハリのある返事で、わたしはふんふんと奥付まで確認の幅をひろげる。カバー袖の著者略歴ははじめにあったりおわりにあったりでちょっと面倒くさいが、奥付はその名の通り奥にしかない。なんとかぷろふぇんに当てはまる単語をみつける毎に「ろきそぷろふぇん〜」「イブぷろふぇん」「あせとあみのふぇん〜……ふぇん違いだあー」とエールを送った。錠剤の閉じ込められたシートかあるいは瓶の傍に、奇跡的に添付文章が残っていれば効能もすぐに分かっただろうし、そうでなくとも解熱鎮痛剤という使用頻度の高い薬は備えが多かったに違いない。)夕方にならないくらい……じゃあまだ外みえるね。うごくのー? 移動する? 明るいうちはゆっくりしようよー。本だよ〜。(暗いといったそばから明るいと真逆をつくでたらめの口がむずむずとしたが、これは表面上、天地に引かれた赤線が妙にうぞうぞと蠢いたに過ぎない。もし人型を保っていたなら、彼の袖でも裾でも伸びた髪でも良い、きゅっと握りしめて離さないでねーと言えたのだが、どんなに厚みや装丁を自在に変えられるわたしでもそれだけはできっこない。彼が、本を落とすわけがない、とくにこれだけの厚みを誇れば、という信頼のもとに甘んじて、じっと押し黙り、感覚を研ぎ澄ませるのが精一杯であった。)蜘蛛こわいー……睿たちが放置されるとき、たいていちかくにあるのが蜘蛛の巣……。『蜘蛛の巣を払う女』はゆうきがでるタイトルだよねー。(つかず離れずの距離を保つ気配に頭の大半を占拠されながら、地面に彼を縫い付けたことに安堵する。わたしをめくるとき、どんなに乾燥でかさついていても指を唾液で湿らせることを良しとしない彼の指が、こんなにもしっとりと触れるのははじめての感触だった。彼の読んだことのない本になるとき、内容の精度については考えないようにしている。もしかすると完全に再現できているのかもしれないし、もしかすると、彼の想像によって構築されたまったく別物になっている可能性も捨てきれない。舌足らずのつとめて明るい音が「静はー」と読書の邪魔をする。)こわいものある? ひとりはこわいー? クスリみつけたから死ぬのはこわくなくなった? ね、ね、ね、もしもー、静いがいの生存者がいて、すうっごいこわいひとだったらどうするー? あのねービッグフットみたいなっ。
2022/1/3 09:55 [32]
jin
2022/1/4 09:51 [42]
なんかあっちこっちしてんなあ。いよいよ同時に多重本格が出てくるようになったか?(かれの性格や声色がくるくると様子を変えるのはいつものことだが、いつもよりぎこちないその前触れだろうかとのん気に冷やかす。そのうち書籍のタイトルまで入り乱れてきて、『吾輩は三四郎である』なんかを読めるのかもしれないと思えば愉快だ。)研究室にも張ってたな……本の塔どころじゃない、積本の壁が何重にもできてて、奥の方のを取ろうとするとそりゃあもう採掘ってな具合だ。それこそジェンガみたいに下のほうからそうっと欲しい資料を抜こうとして大雪崩起こすやつが半年にひとりはいた。そうなるとみんな埃と蜘蛛の巣まみれだ。俺は紙魚のほうが怖いけど、おまえは蜘蛛のほうが嫌?(やつらはかろうじて本に穴を開けはしないので、最大の敵はフルホンシバンムシだが。日ごろ調子のいい相棒が、今日はどこか幼げな話し方をするので多少甘やかすような声音になる。部屋の角に背中を預け、初めて食べる物語に早々没入しかけたが、)向こうが俺を怖がるんじゃなくて?(ようやく見つけたたった一人が死刑囚だなんて悪夢以外の何物でもない。)……ビッグフットだろうがシェヘラザードだろうが関係ねぇよ。顔合わす前に追っ払って終いだ。(ほらほら本だよと間違いない餌で釣り上げておいてと訝しげに目を細める。矢継ぎ早の質問にまずはひとつだけ答えた。)よお文系、この世界で生きた人間を見つける確率がたとえば0.1%だとして、そいつと俺の気が合う確率は?仮に初めは馬が合ったとして、3年以内に嫌気が差して喧嘩別れしない確率は?ちょっと考えてみただけで肩が凝るね。
2022/1/4 09:51 [42]
zokki
ゾッキ
2022/1/4 12:41 [43]
(彼がまさぐる薬品棚の、たとえば千錠包装の箱が台の上に出しっぱなしにされていたり、その他の引き出しもしっちゃかめっちゃかに掻き回されていたりするのは、丁度世界が終わる日に誰かが補充している途中だったとか、衝撃でいろんなものが崩れたからなのだろう。だけどわたしにはどうにもそれが、生きた人間の存在を知らしめているように思えてならなかった。)そんなんじゃないけど〜……どきどきするー。そわそわ? 睿もかぜひいた。わは。(そんなわけない冗談が不発に終わる前に自ら笑う。瞼をつむるように意識に潜り込んで、彼の言葉をまなうらに思い描いた。それは本たるわたしの身にしてみればおそろしい光景でもあるが、積み上げられるだけの、崩せるだけの本があるのは、いまじゃ楽園だ。彼のまわりだけは綺麗に整えられていただろうか、それとも大雪崩の巻き添えをくらうこともあっただろうか、わたしの想像はなんとも温かな光景をつくりあげていた。)紙魚はねー、おしゃべりなともだち。ちょっとくすぐったいけど。蜘蛛よりやさしいよー。(部屋の角は狭くて落ち着くけれど、すこし影が濃くなってものさみしい。しんとしていると外に意識を向けてしまいそうで、憩いの時間を潰してでもなにか、声を掛け続けなければならないような、わたしはそんな呆れかえるほど幼稚な強迫観念に囚われようとしていた。)静こわくないよ? 絡新婦でも追いはらえるう? シェヘラザード美人なのにもったいなーい、静のしらない話たくさんしってるのにー……。(千の物語を読み聞かせるくらいならわたしだってできますけどー、という敵対心が、むくむく膨らんでは急速にしぼんでゆく。おそらく彼と出会ってもう少しで三年になるし、千日だってもうすぐそこに違いないけれど、彼の頭のどこかにひっかかっている物語、それ以外、わたしにはなにも生み出すことができないのだ。ぱたむ、と表紙を閉ざして指を挟み込む。)ぐう……いまのとこ100%だもん〜……。(わたしという文系の中の文系にはちょっと難しすぎる計算問題に、不服を唱えながら。)
2022/1/4 12:41 [43]
jin
2022/1/4 18:54 [46]
(読んでいない本を積むことはしないが読み終えた本は積まざるを得ないこともあった。実際問題、本棚一台の収納力なんて高が知れすぎているのだ。本が手元に溢れたとき、人はただただ床面積とその上の空間を使うより他にない。今となっては贅沢過ぎる悩み、当時も自分のテリトリーには定期的にハタキをかけていたけれども。)そうか。そんなら俺は生まれ変わったら紙魚になろう。奴ら何にも食わなくても一年以上生きるらしいよ。本に齧りついて暮らして、最後は本に挟まれて死のう。(ただでさえ何の因果か生き長らえさせられて、この上都合よく生まれ変われるなんて信じちゃいないが。どうやら読ませる気はなさそうだと悟って、絡新婦の理ではなく友だちの形を捉え直す。)おまえ、ひとの美醜なんかに興味があったのか。意外だな。自分のペースで読み進められない物語は苦手でね。(ビッグフットだかシェヘラザードだか絡新婦だかに引き合わせたいのか合わせたくないのか、判然とせず如何にもモニャモニャとした相棒の態度に首を捻る。単にかれが今日備えた性格のせいだろうか、どうか。ぎっしりと重量感のある紙束に指をのされるのは悪くない。今はまだ読み始めたばかりで表紙側が薄べったいので、もっと真ん中ら辺で挟んでもらえたらなお心地よかったろう。ふうと息吐き、)……おまえがいりゃいいよ。睿、おまえがいりゃあいい。 誰の目から見て俺がどんなに孤独で気のおかしくなった偏屈野郎でも、俺たちがふたりでいる限りそんなこたぁ何の意味もねえんだ。そうだろ?(なあとあやすように挟まれた指の爪の先でつんつんと軽い表紙を跳ねる。ちょっかいをかけるとも言うだろう。)どうしたよ。ほんとに風邪か? 何か嫌な感じがする?(指を抜き去り、両手で分厚い文庫本を持ってみる。どこか異常はないかと天地をひっくり返しては元に戻し、栞紐がついていないことを確認し、無体にもカバーまで剥がしては直す。)
2022/1/4 18:54 [46]
zokki
ゾッキ
2022/1/5 00:33 [54]
(「ほんのむし〜!」と喉から飛び跳ねるような声が出た。どこまでいっても本の虫な彼への揶揄いが大半と、どうしてか気恥ずかしさみたいなものも含まれていた。それならわたしは生まれ変わっても本が良い。装丁には和紙をつかって、紙でも糊でもたらふく食べさせてあげたい。蜘蛛の巣でもなんでも我慢できる。人間の手から守って、きちんと本のなかで彼を眠らせてあげたい。)ひとがつくったものだもの。物語の登場人物に美男美女がおおいのは、きれいなもの、みんなすきだからでしょ〜。傷はないほうがいいよねー。(空気が淀んでいて埃っぽくて、薬品と灰のにおいが入り混じった薄暗い部屋。きらいにはなり切れないけれど、きっと崩壊前のほうが明るくてきれいですきになれた。文字ももっとはっきりと読むことができただろう。ひとの美醜だって同じようなものだと思うのは、わたしが、文字が情報のすべてである本だからなのだろうか。だけどただの本なら、存在するわけがない脳でものを考えたり、あるわけのない口で彼とおしゃべりをすることだってないのだし、彼の台詞に、その言葉だけで十分だよって、目次をくちゃっと丸められたような気持ちになるわけがないのだ。表紙を跳ねさせながらたかいたかいに笑う子どものように声を立てて、)じ〜ん〜! かぜひいたら缶詰のモモさがしてくれるう? きいろいやつがいいー! さむい〜っ(身震いをした途端に、手首に負荷をかけるほどの厚みから、ぱらりと一枚抜け落ちる。落丁が起きたのははじめてだった。たっぷり数秒をかけて右へ左へ、木の葉のように揺れながら落ちてゆく。それまでわたしはきゃらきゃらと笑っていたのに、あまりの出来事にしんと言葉を失った。すすす……とページが地面すれすれを滑走して、彼のつま先の傍を通り、入り口へ数センチ近づいてとまる。「ひっ」と息をのんだのは、直後に足音がひとつ聞こえた気がしたからだ。おそらくは一階のほう。こつんと鳴った高い音は、彼の耳にも届いたかもしれないし、まだ少し遠かったかも。彼の手の上で盛大にバタついたわたしの身体からは、ソリティアの最終局面みたいにばらばらとページが抜け落ちてゆく。)やっ……やだーー! じんん〜〜っ! ストップしてええっ、とめてええぇ〜〜〜やだあああ(混乱がルーレットをまわして、カバーも表紙も本文もくちゃくちゃに入れ替わる。抜け落ちたページは地面に落ちるそばから、まるで見えない手のひらに握りしめられたように、ぐちゃっと丸め込まれた。)
2022/1/5 00:33 [54]
jin
2022/1/6 09:13 [67]
(それは絶望の光景だった。足の踏み場もないほどの瓦礫の海よりも、折り重なる屍の山よりも。本のページが抜け落ちていく。見開いた目の奥が深い動揺に昏く染まるのに、それ以上に慌てる相棒が気づかなかったなら幸いだ。ほとんど反射で落ちたページに手を伸ばし、ちり紙みたいに容赦なく丸まった痛ましいものを、淡々とていねいに広げてのばす。かれ本体は膝に乗せて。粉々に吹き飛んだのでもなし、ノンブルをたしかめて元の位置に挟んでやればいいだけだ。その作業がとてもじゃないが追いつかないほど、ばらばら、ばらばらと次から次へ。)睿、睿。 悪かったよ。大丈夫だ、落ち着け。ストップ、ステイ。いいな、…………大丈夫だから。(小さな小さな異音が聞こえたのはこの大混乱の最中だった。ここにはただひとり物語の残骸を未練がましく懐かしむ男だけがいることを、裏切り者の耳は知っていたのかもしれない。意識をわずかにそちらへ傾ける間ののち、あくまでも相棒へ言い聞かせ、立ち上がっては痩せ細ったその身体を恭しく作業台の上へ置く。床に積もって埃にまみれたページもかき集め同様に。──どうして、と考えるのを後回しに、荷物から件の拾得品を引っ張り出す。まだ足音は少し遠いのを確認してから、鶴の折り方でも思い出そうとするように発砲の手順を振り返り、構えて音のよく通る廊下へ出た。パン、と乾いた音。崩れかけの壁に無駄な弾丸がめり込む。)銃がある。近づくな。(久しぶりに大きく声を張った。格好のつかない咳払いはなるべく押し殺して。)傷つけることは目的じゃない。物資も要るだけ持って行けばいい。ここを寝床にしたいなら今日中にはこっちが出て行くよ。ただ、俺に近づかないでくれ。それだけだ。(怯んだような気配があった。沈黙。困惑を乗せた声が、どうして、と言ったような気もするが、何年ぶりの肉声に背筋が震えて喜ぶようなこともなかった。無言だけを返す。相手は、どうして、ともう一度。それでもだんまりを貫けば、長い長い躊躇いのあと、足音は遠ざかって行くようだった。張り詰めさせていた息を吐く。)………………落ち着いたかよ、慌てんぼう。(置かれた場所で待っている必要もなければ、その保証もない相棒だ。すがたを確かめに元の部屋へ戻ることのほうが、出て行くときよりも緊張した。)
2022/1/6 09:13 [67]
zokki
ゾッキ
2022/1/6 20:09 [71]
(すくってもすくっても指の隙間からこぼれ落ちていく砂粒のように、わたしの身体からは十枚二十枚では足りないクリームキンマリが立て続けに抜け落ちた。みるみると重厚感が薄れ、ブロックメモのラストスパートか雑誌のおまけでついてくるような冊子の姿を目前に、読み物としての尊厳が失われてゆく恐怖感を覚え、彼の膝の上でかくかくとふるえる。嗚咽を何度落としただろうか。過呼吸発作の前触れも幾度か飲み込んだ。)じん。じん〜……どこいくのー、あぶないよー……うううぅ……。ひとがいる……じんん〜……っ。(運ばれた作業台の上でよたよたと立ち上がれば、すかすかになったカバーの内側からタイトル枠が印刷された色上質紙がすとんと抜け落ちて、わたしはわたしの本体がカバーと表紙のどちらにあるのか分からないままに二分割されてしまう。ストップとステイに合わせてしゃくりあげながら停止した表紙は“我が家の問題”で、カバーは“不思議の国のアリス”だった。一度まっさらに消えて、もう一度現れれば元通りなんじゃないかと思うのに、そのもう一度が永遠に来なかったら?廊下へと出てゆく彼の背中が最後の光景だったら?惨めな姿のまま竦み上がって動けない。どうして、はわたしの耳にも届いていた。彼女にしてみても、生きた人間との邂逅は青天の霹靂であったに違いないのだ。この辺りは住み良いようだけれど、それでもひとりぽっちで暮らすにはものさみしい。罪の意識から、それはわたしには酷く痛々しく響いてきこえた。くしゃくしゃに丸められた紙の山、ゴミ箱をひっくり返したようなその中に身を埋めて、えぐえぐとすすり泣く。振り向いた彼の目にも、「ごめんなさい」わたしがひくっとしゃくりあげるたびに、丸まった紙がぴょんと跳ねるのが見えただろう。)静がとられちゃうとおもったああーーんわああん〜〜っ。とっ とられると思っ けっどおー……睿がうばってるんだぁあ〜っごめんなさいーー……! せ、せっかくひとがいたのに追っ払っちゃった、お、追っ払ら、静のばか〜っ! いますぐおいかけろ〜〜!(癇癪にまかせて小高い山をつくるくしゃくしゃの紙を手当たり次第にぽこぽこ投げ飛ばしてゆけば、当然ながら最後に残るのは惨めな姿だけ。涙声の「おぢづいだ」は決して落ち着いちゃなかった。)
2022/1/6 20:09 [71]
jin
2022/1/7 19:26 [81]
(大きな身震いとともに膝の上でしゃくり上げる有様はどう見ても非常事態で、今にも消えてなくなってしまうのじゃないかと心配した。元より消えてなくなってまた現れる軽やかさこそかれの身上だというのに。第三者の気配をさとればそれこそが異常の原因だとは察しがついたが、友の心の機微までは到底想像がつかずに。迷いもなく強引に他人を遠ざけたはいいものの、戻ってみれば一瞬かれ本体の姿が見えずに心臓が止まりかけた。決して耽美ではない泣き声がその心配はすぐに拭い去ってくれたけれども。)おーいおい……自分の涙に溺れんなよ。誰がここまで水濡れ厳禁火気厳禁でお姫さま扱いしてきてやったと思ってんだ。(とられちゃうと思った、の言葉に目を丸く。これで涙も鼻水も存在していないというのが不思議なくらい水っぽい音が聞こえてくるので危ぶんでしまう。くちゃくちゃの紙ボールがいくらぶつかっても、胸こそ痛めど体はちっとも傷つかない。片手には銃を携えたまま、最後に残った焼き魚の骨みたいな痩せっぽちを、そうっと優しく手に取って。)深呼吸しな。すう、はあ、だ。ゆっくり。(口もなければ肺もない、目鼻も心臓も持たないものに、落ち着き方の手ほどきをする。立ち去った誰かはもう建物を出ただろうか。近くに仲間がいるのだろうか、それともひとりぼっちか。耳での警戒だけは怠れないが。)俺の心を奪いたくないんなら絶世の美女か、せめて犬猫にでも化けて出てくるんだったな。……もう遅いよ、睿。いいか、本よりも人間のほうが大事だなんてことはな、宇宙開闢以来一度もねえんだ。一度もだよ。(極端に偏った信仰を、素面で尊大に言い聞かせる。元を正せばすべての理由は自分にしかなく、すすり泣くのも迷うのも隠すのも謝るのも叫ぶのも、この身がばらばらにちぎれそうになるのだって、すべてが自分自身だなんて──そんな陳腐な物語をなぞるのはもうやめにしよう。)それで、おまえはどうしたいんだって?
2022/1/7 19:26 [81]
zokki
ゾッキ
2022/1/9 00:01 [99]
(満身創痍という単語が登場する小説は数多くあるけれども、それを体現する本などわたしくらいではあるまいか。かろうじて残された紙の束をこれ以上奪われまいとして抱きかかえ、表紙とカバーとを不格好に重ね合わせた。あるはずのない耳の奥で、彼が威嚇に放った銃弾の、その残響がこだましている。この世界には似合いの、乾いた、さみしい音だった。どれだけ涙を流し洟を啜っても、ページのすそがわななくばかりで一向に水分の滲まぬわたしの身体である。お姫様には到底似つかわしくない、やつれたわたしであった。分不相応なくらいの優しい手がそんな身体を持ち上げるのに、うう、とちいさく唸る。言われるがままに、「ずっ」と息を吸えばぺこぺこになったカバーが弓なりに撓り、カバーに描かれた少女の横顔を引き延ばし、「ぶあっ」と吐けば少女がぺこりとお辞儀をしただろう。)…………積読はしない主義だーって、静、いったよね。でもね睿はね、べつにしてもいいんじゃないかなーっておもうよ。後回しにされるのはさみしいけどー……手に取らなかったこと、後悔したときには、もうそこにはない……。(何事も出会いは一期一会なのだ。顔を俯かせた少女が隙間を埋めるようにもぞもぞと身を捩りながら面をあげたとき、その姿は“想像ラジオ”に変わっている。ぬくもりを味わうように擦り寄ろうとするのは犬猫のそれに近かった。)だからあ〜……、こ 後悔じないい〜……っ? やっぱりあのとき、追っ払わなければって、おいかけとけばって、じんに後悔されたくないよおおーーっ(おおん、おん、と男泣きに近いわたしの声は、姿は、なるほど絶世の美女には程遠かろう。ぶり返したように泣きじゃくりそうになる。嗚咽を飲み込んで、つい先ほど促されたように「ずっ」と「ぶあ」をもう一度。撓ったのは“消滅世界”で、お辞儀をしたのは“失はれる物語”だった。彼とわたしの営みは、危うい均衡の上になりたつ関係のように思える。例えば遠ざかっていった足音が、何かの拍子に舞い戻らないとも限らないし、そのときにはひとつとも限らない。彼が読みたいと熱望していた本がその傍らにあったって可笑しくないし、彼とわたしが三年以内に嫌気が差して喧嘩別れする確率だってまだゼロじゃない。けれど、)…………無人星にかえりたいよう。(どうしたい、の答えをぽそりと呟いた。)
2022/1/9 00:01 [99]
jin
2022/1/10 11:53 [114]
(終わった世界にも本は数あれど、べちょべちょに泣きじゃくりながら濁音混じりの呼吸を繰り返すのはこれくらいだろう。今やゾッキ本のワゴンどころか古本屋の投げ売りにもちょっと混ざりにくいような風体は哀れっぽく、その動きも相まってとびきり悲喜劇的だ。ふ、と堪らず場に似つかわしくない笑いが綻ぶ。書を読みて羊を亡うという言葉がある。愚か者のたとえだが、かつて知ったとき、そんな生き方がしてみたいと憧れたものだった。いや、今はもうそれだけでなく。)そうかもな。だからその上で、俺がおまえを選ぶってだけのことだよ。(順番さえ考えればどちらもを手に入れ得るのなら余地もあるかもしれないが、あちらを立てればこちらが立たずならそこにはただ選択があるだけだ。擦り寄るように甘えてくれるものを胸に抱く。決して取り落とさぬように、「読みたいから後でページ揃えてくれよ」と想像ラジオの背を撫でて。)そんなに重たく考えんなって。1匹見かけたら30匹いると思えって言うだろ。……たぶんしねえと思うけど、いいんだ、別にいつか後悔したって。今日の俺が今おまえといたいってだけで、いつかどんなツケを払ったっていい。(積立貯金にも将来設計にも一切合切意味などなく、すべての人間は明日をも知れぬ命なのだと、全人類がその身を賭して教えてくれたではないか。今だかつて見たことのない取り乱しように、クックッと喉を鳴らす可笑しみが止まらない。語りかける声は穏やかだ。ここにいるのはいよいよ頭のおかしさも極まって笑いだす滑稽なひとりぼっちなのだろう。だからと言って、それがどうしたというのか。孤独を救ったのは人ではない。いつだって本だった。何よりかれという本だ。)睿。今日は俺が読み聞かせをしてやるよ。ポール・オースターだ。(万にひとつがないように、愚か者らしく目を瞑って歩き出す。銃を腰に差し込んで自由な指で壁をなぞり、出入り口に行き当たれば廊下に出、その廊下の壁をまたなぞってゆっくり歩く。読まんとする一節をかれがその身に引っぱり出せたかは定かでない。『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』。唱える呪文はふたりきりの星へ帰るため。ここには気のいい友がいる。)誰か一人でも信じる人間がいるかぎり、本当でない物語などありはしないのだ。
2022/1/10 11:53 [114]
zokki
ゾッキ
2022/1/11 11:32 [132]
(わたしはわたしが人型でなかったことを、こんなにも感謝したことはない。惑いながら離れていった足音は、一階に降りる階段の手前で踊るように行ったり来たりを繰り返し、崩壊してもまさしく踊り場という名にふさわしい動きを見せたけれども、躊躇いつつ一段また一段と背を縮めてゆくうちに澱みを落としていった。そこから先も追いかけようと思えばきっとできたのだが、わたしは努めて意識を遮断する。意識というテリトリーに、彼以外の何ものにも踏み入られたくなかったのだ。彼の言葉にこそ触発され、小刻みに打ち震える泣き笑いに似たなにか。)お、……おっとこまえだー……。わは……涙ひっこんだ……。人間を匹で数えるひとも、本に読み聞かせるひとも、聞いたことないよー。…………ね、ね、静はさあ、読むばっかり? 書いたことあるう? 頭の中にあるうちはねー、なんだって傑作なんだって。だから睿が、あんまり傑作で、つい静のこころをうばっちゃったのも、頷けるよね……。(子守唄より落ちつく彼の穏やかな声に寄りかかる。それは粉塵と石ころを踏むじゃりじゃりとした音よりも余程耳に届いた。染み入るように。とくとく動く心臓の音は彼のものだろうか。それとも、わたしの転が飛び跳ねているのだろうか。)あのねー、じんー…………ありがとね。うれしい。ありがと。ありがとー……。(他の誰でもない彼が、そうしてわたしを本物たらしめた。いまはまだ薄暗い空が次第に更けりひかりが届かなくなったら、なんだか物惜しい気持ちになりながら、わたしは彼が瞼を落とすのを待つ。これまでの三ツ星ホテルなど比べ物にならない超高級リゾートばりの老人ホームの、その床につくまでは、抜け落ちたページをノンブル通りに揃えて挟んだだけの、自炊に失敗したような哀れな姿を逆手にとって彼の腕の中を占拠した。入眠とともに薄れゆく身体を眺めながら、わたしは本の癖に、意外と臆病者だったんだなと新たな自己の発見を振り返る。次に目覚めるときには、わたしの姿はきっちり元通り、新品同様の装丁に赤い瑕疵を身につけているだろう。奥付の済印も健在に違いない。ちょっと悩んでからわたしは『私はあなたの瞳の林檎』になって、寝ぼけまなこかもしれない彼に向かって、またちょっと悩んで、それからこう囁く。睿って、静の、瞳の林檎だね。)〆
2022/1/11 11:32 [132]
jin
2022/1/15 00:53 [143]
(男前の呼び声に、「よく言われる」と真顔でうそぶく。)将来の夢はもっと気合の入った狂人だ。人間だらけの世界にもたまにいた。何百の人目があろうと空を飛べると信じて羽ばたけるやつが。病気の名前をつけられて、哀れまれ、腫れ物扱い。結果道路のシミになっても、そこまで行きゃあ無敵だよ。誰にも邪魔できない世界だ。(今のところ鳥人間願望はないもので、未熟な狂気を注ぐ宛ては専らA6判の小さな宝。ゆくゆくはたかだか人と目が合うことくらい、おそれずに済むほど強固に育もう。でなければ目を瞑って歩いても転ばない能力が要る。)……なるほどね、腑に落ちた。おまえが俺の不世出の処女作だったか。(それは大変感慨深げに、合点がいったのは色んな意味で。いつもなら上手いこと言いやがってとうりうり親指で小突いてやるところだが、今はその弾みに装丁が崩壊しそうなものだから後生大事に抱えたまま。あたためすぎてかわいくなって、どこの誰とも知らない馬の骨に批評されるのなんてとても耐えられないと墓まで持っていくタイプの処女作だ。閉じたままのまぶた。サッシの埃を指が掬う。)ふやけた声。(繰り返されるありがとうは適温のぬるま湯にでも浸かっているように聞こえて、くすぐったげに愛おしげにからかう。)今からヘンリー・ダーガーを目指すなら90過ぎまで生きなきゃなんねえ。先は長いな。(約束通りに病院を離れ、今日の寝床を目指す道すがら、そんなことさえつぶやいた。我々の『非現実の王国で』、もとい仮題『無人星』を一大巨編に仕立て上げるには生涯を要する。驚くべきことにほとんど傷んでいないマットレスのベッドを見つけて転がれば、実に1年以上ぶり、連続12時間の熟睡を果たすことになる。本と戯れる夢のような夢は現実と地続きで、目覚めればそこにあるのはまさしく叶った夢の姿。夜風にも鼠にも1ページだって渡すまいと抱いて眠った親友が、元通り元気に赤い帽子をくっつけているのを確かめたなら、まどろみ半分に下げるまなじり。起き抜けの口説き文句を噛みしめるなり笑い飛ばすなりする前に、「あ」のつく本のタイトルを考える。)〆
2022/1/15 00:53 [143]
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